小田子合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:37 UTC 版)
遠山氏は、岐阜城の織田信長に対し、武田(秋山)勢が美濃に迫ってくることを事前に伝えていたので、信長は明智光廉(三宅長閑斎)と配下の軍勢を送り、12月29日に美濃と三河の国境の村である小田子村(恵那市上矢作町小田子)にて秋山勢と戦ったという。光廉(長閑斎)は秋山が軍立を知った者であるから、その裏を謀って4~5箇所に伏兵を仕掛けて、火攻めで追い立てたという(『美濃国諸旧記』)。3日間に渡る激戦の末、秋山勢は敗れて信濃に撤退した。
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