足利直義
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足利 直義(あしかが ただよし)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけての武将・公卿・政治家・歌人。鎌倉幕府の有力御家人足利貞氏の三男[2]。兄に足利高義と足利尊氏がいる。室町幕府初代将軍足利尊氏の同母弟。養子に直冬。
注釈
- ^ 生年は古くは徳治元年(1306年)とするのが定説だったが、考証の発展により2010年代時点でおおむね改められている。本文参照。
- ^ a b 直義の死没日の元号について、南北朝時代はほとんどの期間、元号が南朝と北朝で分かれていたが、直義は正平の一統により正平に統一された時期に薨去している。直義の没後すぐに再び南北朝に分かれたが、復活した北朝元号としては観応3年及び文和元年に当たる。
- ^ 観応の擾乱中に一時的に南朝に降ったことがある。
- ^ 兄高義の子とする説もある。
- ^ 直義が甥の直冬を養子に迎えた後、1347年に誕生した直義の実子。しかし1351年、観応の擾乱の最中に早世した。
- ^ ただし、日本史研究者の亀田俊和は、直義の冷静さは室町幕府成立後に指導者として後天的に身に着けた立ち振る舞いであり、本来は明朗快活な人間であったのではないか、と主張している[3]。
出典
- ^ NHK「BS歴史館 疾走!足利尊氏 南北朝の扉を開く!?」45⁻46分(呉座勇一等出演)
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 30頁。
- ^ 亀田 2016, pp. 76–79.
- ^ a b c 亀田 2016, p. 1.
- ^ a b c d 森 2017, §1.1.5 弟足利直義.
- ^ 清水 2013, p. 22.
- ^ 「市のあゆみ」岡崎市
- ^ 「1-3 岡崎市の沿革」岡崎市
- ^ 「沿革」岡崎市
- ^ 阪田雄一 著「中先代の乱と鎌倉将軍府」、佐藤博信 編『関東足利氏と東国社会』岩田書院〈中世東国論:5〉、2012年。ISBN 978-4-87294-740-3。
- ^ 『大日本史料』6編6冊694–696頁.
- ^ a b 鈴木, 登美恵「太平記「塩冶判官讒死之事」をめぐって」『中世文学』第26巻、中世文学会、1981年、29–35頁、doi:10.24604/chusei.26_29。 pp. 32–34.
- ^ a b 亀田俊和『高師直 室町新秩序の創造者』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー 406〉、2015年。ISBN 978-4642058063。室町幕府初代執事高師直>北畠顕家との死闘>塩冶高貞の討伐
- ^ 森 2007, pp. 116–117.
- ^ 呉座 2018, p. 127.
- ^ 瀬野 2005, p. 93.
- ^ a b 『綱光公記』文安5年(1448年)9月29日条
- ^ 森 2015, p. 17.
- ^ a b 亀田 2016, p. 106.
- ^ 亀田 2016, p. 107.
- ^ a b c 亀田 2016, p. 108.
- ^ 深津睦夫 『光厳天皇:をさまらぬ世のための身ぞうれはしき』2014年 ミネルヴァ書房
- ^ a b c d 亀田 2016, pp. 111–113.
- ^ 足利高氏(足利尊氏)の家臣団と軍団。外様守護大名(その2 西国編) - 天下侍魂‐将を語る‐武家家臣団研究。
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