岩松直国とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 岩松直国の意味・解説 

岩松直国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/03 09:46 UTC 版)

岩松 直国(いわまつ ただくに)は、南北朝時代武将岩松氏当主。岩松氏の中興の祖とされる人物。


  1. ^ 元服の年を建武元年(1334年)とした場合の逆算による。
  2. ^ a b 『系図纂要』。
  3. ^ a b 『大日本史料』六之二 P.198 掲載の「岩松系図」。
  4. ^ 『尊卑分脉』。当時の古文書にも「岩松治部少輔」と記されている(本文参照)。よって、『系図纂要』に掲載の「治部大輔」は誤りであろう。
  5. ^ a b 『系図纂要』第10冊下の世良田氏系図、『群馬・五』P.888「長楽寺系図」および P.915「新田岩松系図」には、義政が岩松政経の長男であったことが明示されている。『系図纂要』の岩松氏系図にも政経の長男に義政を載せているが、義政は庶長子であったため、岩松家は弟の経家が継承し、義政自身は世良田氏に養子入りすることになったという。小国、2001年、P.64-66に拠る。
  6. ^ 『諸家系図纂』所収「上杉系図」による。尚、「上杉家本 上杉系図」にも憲顕の女子の一人に「岩松妻」との注記がある。いずれも『大日本史料』六之三〇 P.59-60に掲載。
  7. ^ a b c 小国、2001年、P.64。
  8. ^ 『大日本史料』六之二 P.195-197。『南北朝遺文』関東編1 P.79-80、186号・187号文書「尼妙蓮譲状写」。
  9. ^ 阪田、1994年、p.3。『南北朝遺文』関東編1 P.80。
  10. ^ 厳密には岩松氏は足利一門・畠山氏の支流にあたるため、新田氏の一族ではないが、『尊卑分脉』・『系図纂要』以下の系図類によれば直国の父・政経は「新田下野守(=得川頼有猶子」であったといい、形式上は新田一門となっていたことになる。
  11. ^ 以上、阪田雄一の見解による(阪田、1994年、p.2-3)。
  12. ^ 『系図纂要』の経家の項に「自父政経譲与岩松家督」とある。
  13. ^ 『群馬・通』P.346。『系図纂要』によれば、経家のほか、兄弟の本空と頼宥も同時に戦死したというが、頼宥に関してはその後観応の擾乱に至るまでの生存が確認できる(備考を参照のこと)。
  14. ^ 阪田、1994年、p.3。典拠は『正木文書』。
  15. ^ 同日付「幕府執事高師直奉書」(『正木文書』)。
  16. ^ 阪田、1994年、p.3。
  17. ^ 同日付「足利直義御教書」(『正木文書』)。
  18. ^ 同日付「足利基氏寄進状」(『神田孝平氏旧蔵文書』)。
  19. ^ 同日付「足利基氏御教書写」(『正木文書』、『南北朝遺文』関東編4 P.267、3033号文書)。
  20. ^ 阪田、1994年、p.4。峰岸純夫「室町時代東国における領主の存在形態」(所収:同氏『中世の東国 地域と権力』、東京大学出版会、1989年)。
  21. ^ 阪田、1994年、p.4。
  22. ^ 小国論文参照。
  23. ^ 小国論文参照。典拠は『喜連川判鑑』、『鎌倉大日記』、『常楽記』、『後鑑』所収萬澤文書。
  24. ^ 小国、2001年、P.61。
  25. ^ 今谷明・藤枝文忠 編 『室町幕府守護職家事典』上(新人物往来社、1988年)、岩松氏の項。


「岩松直国」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「岩松直国」の関連用語

岩松直国のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



岩松直国のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの岩松直国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS