斯波義将とは? わかりやすく解説

しば‐よしまさ【斯波義将】


斯波義将

読み方しば よしまさ

南北朝室町時代武将。高経の四男。通称勘解由小路殿・玉堂法名は道称。将軍足利義詮義満義持三代にわたり管領三度つとめ、越前信濃国などの守護となる。細川頼之対立し四国追放した。故義満への太上天皇尊号辞退させるなど、堅実な運営幕政貢献し和歌雅楽等にも秀でた子弟訓戒のため『竹馬抄』を著わす応永17年(1410)歿、60才。

斯波義将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/30 15:01 UTC 版)

斯波 義将(しば よしゆき[注釈 1])は、南北朝時代から室町時代武将守護大名斯波氏5代当主。室町幕府創業の元勲である斯波高経の4男で室町幕府初代、3代、5代、8代管領越前越中信濃守護。


注釈

  1. ^ a b 「義将」の読みに関しては、一般的には「よしまさ」と読まれる(平将門などと同様)ことが多いが、実際は「よしゆき」のようである[3]。偏諱(「将」の字)を賜った人物についても同様のことが言える。
  2. ^ これに対し、百瀬今朝雄は実際に管領に任命されたのは義淳であったが、当時15歳をもって判始を行う例であったために、祖父である義将が職務を代行したのを『教言卿記』が「管領就任」と書いたのではないか、と推測している[13][14]
  3. ^ 甲斐将教の父・教光は娘婿である斯波義教(義将の子)から偏諱を賜っているので、将教がその諱を名乗ったのが義将の死後であり、直接下賜されたものではないと思われるが、「将」の読みなどからこの字は義将に由来するものであるのは確かであろう。よって義将の偏諱を用いた人物として掲載した。「将」の読みについてはこの二人も同様である。

出典

  1. ^ 鎌倉大日記』・『斯波家譜』・『體源抄』・『諸家系図編』・『列國譜』では左。『系図纂要』では右
  2. ^ 尊卑分脈
  3. ^ a b 小川 1997.
  4. ^ 『斯波家譜』。『列國譜』では貞治元年
  5. ^ 佐藤 1967, pp. 255–256.
  6. ^ 佐藤 1967, p. 256.
  7. ^ a b c 佐藤 1967, p. 257.
  8. ^ 佐藤 1967, pp. 257–258.
  9. ^ 谷口 2022, p. 75.
  10. ^ 佐藤 1967, pp. 258–260.
  11. ^ 佐藤 1967, pp. 259–260.
  12. ^ 『鎌倉大日記』・『列國譜』・『系図纂要』
  13. ^ 百瀬今朝雄「〈歳十五已前之輩〉と花押」『早稲田大学蔵資料影印叢書』10号、1986年。 /所収:百瀬 1994, pp. 271–273
  14. ^ 偽文書について『立正大学文学部論叢』100号、1998年。 /所収:百瀬 1994, pp. 277–278
  15. ^ a b c 谷口 2022, p. 76.
  16. ^ 「斯波と称せし故は、道朝(斯波高経)が弟左京大夫家兼(斯波家兼)、陸奥に下り斯波郡を領せしを以て氏とせしが、いつとなく本家の称とも成しなり。又、武衛というは義将より以下代々左兵衛督、或いは佐に任ぜしをもってなり」(『列國譜』)
  17. ^ 『體源抄』


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