斯波義孝とは? わかりやすく解説

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斯波義孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/10 20:00 UTC 版)

斯波 義孝(しば よしたか、享徳3年(1454年[1])- 没年不詳)は室町時代後期から戦国時代初期の武将。通称は孫三郎。官職は従五位下民部少輔斯波氏分家の大野斯波氏の第3代当主・斯波持種の子で、兄に武衛家(斯波本家)を継承した斯波義敏がいる。幼名は竹王丸。妻は兄・義敏の娘(義孝の姪にあたる)。子は義縁(よしより)、義信(よしのぶ)。


  1. ^ 文正元年(1466年)に越前国大野郡を与えられたことを記した『蔭涼軒日録』の記事に当時、竹王丸と呼ばれていた義孝が13歳であったと記されており、逆算すると享徳3年生まれとなる。また、文明14年(1482年)の皇大神宮禰宜藤波氏経の書状には「御歳二六丑上御屋形(斯波義寛、康正3年丁丑生)」に並んで「御歳廿九戌下御屋形」と記されている(内宮引付)。こちらも、逆算すると享徳3年甲戌の生まれとなる。


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