甘利荘と甘利氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 04:13 UTC 版)
戦国時代には戦国大名化した武田氏の譜代家老に甘利氏がいる。甘利氏と当荘との関わりは不明であるが、上条東割経塚出土の経筒銘文などに存在が確認できる。 戦国期には甲斐・列島規模で荘園の解体が進み郷村が成立し、甘利荘も上条と下条に分裂し、解体したとされる。一方で戦国期の知行宛行状・安堵状において旧甘利荘域の郷村では、郷村名に「甘利」を冠する事例が散出しており、戦国期においても旧甘利荘の帰属意識が存在していたと考えられている。 甘利荘の荘郷鎮守は韮崎市大草町上條東割に鎮座する南宮大神社で、戦国期にも地域において祭礼が実施されている。
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