帰属意識
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他の調査によると、住民の38%が自身をユニオニストであると規定し、同様に24%がナショナリスト、そして35%がどちらにも当てはまらないと回答している。全体の59%は長期的な視野にたった英国による北アイルランド統治を是認すると述べ、22%が統一アイルランドの形成を支持している。態度が不明確な層が存在するのは、北アイルランド同盟党が一定の支持を受けていることからも裏付けられる。最近の選挙においては、54%が親プロテスタント政党に投票し、42%が親カトリック政党へ、残りの4%がそれ以外の政党に投票している。
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帰属意識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 02:45 UTC 版)
こんにちのグラル人にとって集団としての帰属意識は、民族でなく、住んでいる国の領土が決め手となっている。たとえば、長い間ポーランドという国家に帰属していた地域の住民は自分たちをポーランド人であると考え、スロバキアの住民は自分たちをスロバキア人だと考えている。また、両国の国境のすぐそばに住んでいるグラル人はポーランド人でありスロバキア人であるといった曖昧な帰属意識を持っている。ここの人々はシェンゲン協定のおかげで自由気ままに両国を行き来している。グラル人の使う方言はポーランド語を基盤とするものではあるが、スロバキアやチェコのグラル人の方言はだんだんとスロバキア語やチェコ語のそれぞれの標準語に近づいてきている。 ただしチェコのグラル人は自分たちをポーランド民族でチェコにおけるポーランド系少数民族の一部だと考えている。彼らの地域共同社会の活動がそれを示しており、モラヴィア・スレスコ州の街ヤブルンコフでは、チェコ国内のポーランド系少数民族の親睦団体である「ポーランド人文化教育連合(PZKO)」の主催で毎年開催される「グラル人祭り(Gorolski Święto)」でグラル人文化が披露される。「グラル人祭り」はこの一帯のザオルジェ地方におけるポーランド人の伝統を維持することに寄与する最も大きな民俗文化祭で、期間中は毎日数千人の人々がここを訪れる。とはいえ、このザオルジェ地方の人々は国籍においては自分たちをチェコ人(つまり、チェコ民族ではないがチェコ国民)だとみなしている。この地域に属するフルチャヴァ村はチェコの国土の最東部に位置する自治体であるが、ここの住民の圧倒的大多数はチェコ国籍で、2%だけがポーランド国籍である。 現地のグラル人たちは原住民として、以前はこの地方での多数派を占めていた。今でも彼らは日常生活ではこの地方の独自の方言を話している。 歴史的に見ると、ポーランドとチェコスロバキアの両国でグラル人の民族的帰属については論争があった。19世紀から20世紀にかけて、グラル人も中央ヨーロッパの他の農村の住民と同様、 国民国家の制度の枠内で自分たちの帰属意識を決めるようになった。この時代はポーランドとスロバキアの両方で民族主義的なプロパガンダがさかんに行われたが、両国の国境が画定した1924年になってもグラル人の国籍については解決が見られなかった。オラヴァのヤブウォンカ出身の僧侶フェルディナンド・マハイ、オラヴァのラプチャ出身のピョトル・ボロヴィ、スピシュのレンダク出身のヴォイチェフ・ハルチンは1919年のパリ講和会議に出向きアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンに直接会って、ザオルジェ地方をポーランドに帰属させる文書に署名するよう働きかけた。第二次世界大戦が終わると、グラル人の一部は自分たちがそれぞれ帰属すべきだと思っている国家の方へ移住して行ったが、現在でもグラル人のなかには隣国の民族意識を持っている人々が存在する。
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