帰属問題と紛争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 09:22 UTC 版)
シリアの砲台のある土地であったために、独立以来シリアと対立するイスラエルは第三次中東戦争(1967年)で、高原総面積約1800平方キロメートルのうち7割程度を占領。第四次中東戦争(1973年)で奪還を試みたシリア軍の攻撃を退けて同地の実効支配を続け、1981年に併合を宣言。「ゴラン高原」の用語の使用に反対を示している。 イスラエル国防軍が1967年から1981年まで占領して軍政下に置き、後にクネセトで制定されたゴラン高原法に基づき民政下に置かれた。イスラエルを除く当事国、および国際連合とほとんどの国際連合加盟国はイスラエル領であることを認めていない。国連安全保障理事会が決議497「イスラエルの併合は国際法に対して無効である」旨を採択し、同地がイスラエルによって不当に併合されたシリア領であるという見解が固定化した。 シリア系住民はイスラエルとシリアの戦争で約10万人がシリア高原を離れ、2019年時点で約2万4000人が居住する。1970年代以降、イスラエルはユダヤ人入植地を建設しており、ユダヤ人人口は約2万5000人で、イスラエル政府は今後30年間で10倍の25万人へ増やす目標を掲げている。1981年の法律でイスラエルは第三次中東戦争以降も同地に留まるシリア人にイスラエルの市民権を与えた。イスラエル国内での就職や国外渡航の制約が少ないイスラエル国籍を取得するシリア系住民もいる。一部のユダヤ人およびシオニスト組織はシリア高原を「自由なユダヤ人の土地」であるとしているが、この見解は現在のイスラエル政府の見解とは反し、また国際的にほとんど支持されていない。 シリアとイスラエルは現在もシリア高原の領有権を争っているが、第四次中東戦争停戦後の1974年以来、大規模な武力対決を行っていない。後述のように外国軍が両国軍を引き離しているほか、シリアとイスラエルの支配地域はフェンスで遮断されている。シリア高原の戦略的および水源地としての大きな価値は、両国の交渉が不確かであることを意味している。 国際連合のPKO・国連兵力引き離し監視隊(the United Nations Disengagement Observer Force, UNDOF)が1974年に設立され、停戦合意の実施を監視し、地域の現状を維持している。現在1,000名を超える国連平和維持部隊が平和の維持に従事している。日本も1996年から自衛隊を派遣していたが、シリア内戦による情勢の悪化に伴い2013年に撤退している(「自衛隊シリア高原派遣」参照)。 シリア内戦では、バッシャール・アル=アサド政権を支援して介入したイラン革命防衛隊とその支援を受けるヒズボラがシリア高原を攻撃し、イスラエルが反撃した。これに対して、アサド政権を支援する一方でイスラエルとの関係も重視するロシア連邦が憲兵隊によるシリア高原のパトロールを2018年8月2日に開始するなどして、両者の衝突を防ぐ態勢をとっている。 さらに、レバノンはヘルモン山の領域にあるドヴ山のシェバ農場として知られる地域の割譲を要求しており、シリアの公式見解は農場はレバノン領であるとしている。しかしながら、レバノンからイスラエル軍の撤退を確認するために2000年に派遣された国連のチームは、シリア高原の一部としての農場がシリア領と同一であることを間接的に保証した[要出典]。 2019年3月21日にはアメリカ合衆国のドナルド・トランプ大統領が、シリア高原の主権はイスラエルにあるとの見解を表明し、翌22日にはシリアとアラブ連盟が非難する声明を発表。3月25日にアメリカは正式にイスラエルの主権を認める手続きを行ったが、国際連合や日本などは引き続きイスラエルの主権を認めていない。6月16日にはイスラエルがゴラン高原の新たな入植地をトランプ高原と命名するなど、イスラエルによる実効支配は一段と強まっている。
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