大崎氏の世襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/30 18:17 UTC 版)
応永7年(1400年)には大崎詮持を奥州探題に任命したという。以降大崎氏が世襲する。大崎氏は奥州管領などを務めた斯波氏の末裔であり、鎌倉府を牽制する意図があったとされる。 しかし、もともと奥州では有力国人が各郡の軍勢催促、軍忠状証判・注進、使節遵行など守護並みに強い権限を持っている上に、南半は鎌倉府の分身である篠川・稲村御所に押さえられ、内にも伊達氏や蘆名氏などは京都扶持衆として幕府と直接結びつき、強力な支配は不可能であった。それらの有力国人は、自己が支配する各郡を領国化し、次第に戦国大名化する。それに対抗するために大崎氏も自己の直接支配領域を領国化し、一有力国人へと零落していった。
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