大崎村からの分立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 03:53 UTC 版)
1889年の町村制施行当初は大崎郷全体で大崎村として発足したが、1891年2月に野方が単独の自治体として独立した。これは大崎村が当時の自治体としては広大であったことや、麓集落(現在の大崎町役場付近)の士族(旧郷士)による支配への反発が理由であったが、後者については以下の出来事が発端といわれている。 かつて平野に鎮座していた照日神社が、1875年に荒佐野の伊勢神社へ合祀されることとなり、無格社であった伊勢神社は照日神社と改称、村社へと昇格した。村社においては社掌の有資格者でなければ社務を司ることが出来なかったが、荒佐野には資格者がいなかったため、麓集落の士族が代わりに司ることとなった。賽銭代・お手札代といった諸収入は士族持ちであったのに対し、社殿の修理は地元住民に負担させるといった横暴を働いていた。 1880年代になって荒佐野にも社掌の資格者が現れた。このため士族に社掌職の返還を求めたが応じることはなかった。これが発端となり、1889年10月、鹿児島県に野方村の分村を希望することとなった。野方村は1891年に独立したが、初代村長には麓集落の士族が就任。真の意味で独立を果たしたのは、第5代村長として野方村出身の瀬戸貞行が就任した、1895年のことであった。 1891年当時の人口は約1,800人であった。 1891年2月x日 - 大崎村から野方村が分立。 1897年4月1日 - 南諸県郡が東囎唹郡と合併して囎唹郡となる。 1936年1月1日 - 大崎村が町制施行して大崎町となる。
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