大崎氏の没落と伊達氏の探題就任とは? わかりやすく解説

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大崎氏の没落と伊達氏の探題就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/30 18:17 UTC 版)

奥州探題」の記事における「大崎氏の没落と伊達氏の探題就任」の解説

大永11年1514年)、伊達稙宗陸奥国守護職に任ぜられた。これにより、大崎氏世襲する奥州探題制は無力化し事実上終焉する。その後伊達氏大崎氏武力圧倒して支配下に置くようになる戦国時代にも幕府形式的な職として存在し弘治元年1555年)には稙宗の子伊達晴宗奥州探題任じられた。異説として、晴宗の探題就任永禄2年1559年)とする説もあるが、この異説大崎氏から伊達氏への交代となるため、幕府慎重な任命手続取ったために任命遅れたというもので、実質においては弘治元年段階において晴宗は探題同格待遇受けていた。 室町幕府滅亡後に当主となった伊達政宗(晴宗の孫)も奥州探題自称した天正18年1590年)、政宗豊臣政権臣従して奥州探題称号返上し一方臣従表明しなかった大崎氏豊臣秀吉によって攻め滅ぼされた(奥州仕置)。これによって奥州探題制は名実ともに終焉した。 また、斯波家兼の子斯波兼頼正平年間1346年 - 1369年)ごろに出羽国按察使として出羽下向したという。後に羽州探題呼ばれ子孫最上氏称した

※この「大崎氏の没落と伊達氏の探題就任」の解説は、「奥州探題」の解説の一部です。
「大崎氏の没落と伊達氏の探題就任」を含む「奥州探題」の記事については、「奥州探題」の概要を参照ください。

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