大崎村の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 14:19 UTC 版)
同年2月21日の早朝、宇喜多勢が麦飯山麓に馬草刈りのために数名の兵を繰出す。 これに対して、毛利勢は数人の兵を出し、馬草刈りをしていた宇喜多勢を追い払う。そこで宇喜多勢は更に数人が加勢、毛利勢も数名を繰出し応戦。 こうした両軍のやり取りで双方共に大勢となり、大崎村(玉野市八浜町大崎) 柳畑の浜辺で大合戦となった結果、大将の宇喜多基家が戦死した。 敗走した宇喜多勢は八浜七本槍の働きでかろうじて毛利勢をくい止めたが、以降は八浜城に籠城して、秀吉の救援を待つこととなったとされる。
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