織田弾正忠家
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通称「織田家」。元々は清洲に仕える三奉行の内の一家だったが、先代織田信秀の代に勢力を拡大し、国主の地位を勝ち取った。しかし信秀の死後、家督を継いだ信長を嫌い離れていった古参の兵も少なくない。 織田上総介信長(おだ かずさのすけ のぶなが) 声 - 鳥海浩輔 尾張当主。那古野城城主。年齢は19歳。尾張国統一を目指す若き君主。かさねの「この時代の人間じゃない」という話を信じた初めての人間。長髪を後ろで束ねており、若々しさがうかがえる格好となっている。「天狼」という鷹を飼っている。武器は刀と火縄銃。幼少の頃より鉄砲に慣れ親しみ精通しており、火縄銃を扱うセンスは凄まじく、瞬時に二丁を構え同時に放ってみせたこともある。傲岸不遜、剛毅果断な性格で恐れられ、「使えぬものは一切要らん」とまで言い切るが、一方で「おれに付いて来れぬ者を選んだつもりはない」とも言っており、彼なりに考えがあるようである。また、自らの直属軍を「この寄せ集めどもはよく動く。これがおれ自身の一部で家族だ」と評する一面も。 丹羽五郎左衛門長秀(にわ ごろうざえもん ながひで) 声 - 立花慎之介 通称「五郎左」。18歳。茶髪で髪が長い格好。幼少期からの信長の家臣で、物腰柔らかい優等生。趣味は料理。女性っぽい仕草と、かなり女性っぽい容姿のために、初めて会った相手は「カワイイ」女の子と勘違いしてしまう。武器は身の丈以上の大太刀「あざ丸」。刀身もかなり太いのだが、長秀はこれを片手で軽々と扱っている。『三馬鹿』の一人で、公私共にまとめ役。 佐々内蔵助成政(さっさ くらのすけ なりまさ) 声 - 神谷浩史 通称「内蔵助」。17歳。三馬鹿の一人。銀髪の短い髪で小柄。根は好人物だが素直でない。武器は、二丁拳銃からトンファー状態へ変形可能な、専用の改造銃「ささら」。怒りっぽく、利家が「はら減った」などと愚痴を言うと、たびたび怒りっぽく叱る。『小豆坂の勇』にも数えられた兄達を「佐々家の誇り」と言いつつ、複雑な思いを抱いている。戦う目的は、出世して名を残すこと。かさねとは喧嘩仲間。出世志向が強く、性格や口の悪さもあってか、友達が少ないらしい。 前田又左衛門利家(まえだ またざえもん としいえ) 声 - 小野大輔 通称「犬千代」(稀に「又左」とも)。16歳。三馬鹿の一人。かなりの大柄。子供っぽい性格で大飯喰らいだが槍の名手。武器は身の丈を遥かに上回る長槍。「野生児」「野生動物」などとも称される。いつもお腹が空いていて、愚痴をこぼしたりするとすぐに成政と喧嘩になる。「くろちよ」という柴犬を飼っている。戦う理由は飯、そして「戦うことが自分そのもの」だから。「かたね」「かまね」「からね」など、かさねの名前をほぼ毎回間違えている。 池田勝三郎恒興(いけだ かつさぶろう つねおき) 通称「勝三郎」。信長の家臣。バンダナをしている。17歳だが、かなりの老け顔のため、10歳以上年上に見られたりする。母親が信長の乳母であったため、信長とは乳兄弟にあたる。主に諜報活動を担当している。職務に忠実で寡黙な青年。信長以外の人とは必要最低限のことしか喋らないが、話し口調は丁寧で落ち着いている。猫アレルギー。 藤吉郎(とうきちろう) 声 - 遊佐浩二 後の豊臣秀吉と思われる人物。17歳。尾張中村の百姓の家に生まれる。信長の情報屋だが、立場上、信長の家臣団には加わっていない。「さる」というあだ名にふさわしい顔と格好をしており、表向きは武器商人として行動している。かさねの「もう少し先の時代から来た」という話を信じてくれた2人目の人間。武器が飛び出す自作のカラクリ行李を背負っている。武術は苦手らしいが、大鎌や分銅鎖を使いこなしている場面もある。女の子が大好き。長秀を完全に女の子と思い込んでいる。相性の問題か、利家には好感を持たれたのだが、成政には一発で嫌われた。 毛利新助(もうり しんすけ) 声 - 柿原徹也 信長の家臣。稽古試合では利家相手に奮戦するものの、完敗。その後、かさねの戦いぶりに感動し、一緒に鍛錬したいと申し出る。ただしまだ一本も取れていない(勝てていない)らしい。 服部小平太(はっとり こへいた) 声 - 鈴木達央 信長の家臣。新助同様、稽古試合でのかさねの戦いぶりに感動し、毎朝のように手合わせを申し出ている。新助同様、まだ一本も取れていないらしい。 河尻与兵衛秀隆(かわじり よへえ ひでたか) 声 - 内田夕夜 通称「与兵衛」。信長の家臣で家老格。穏やかな性格であるが中々の切れ者で、周囲からの信望は厚く、可成と並んで若い衆からの人気も高い。年長の家臣では珍しく、信長のやり方に理解を示している。 森三左衛門可成(もり さんざえもん よしなり) 通称「三左」。織田家家老格。以前は美濃の斎藤家に仕えていた。忠義に厚い熱血漢で、「美濃の勇『槍の三左』」と呼ばれる勇将。家臣団の中では新顔だが、那古野城での重臣会議にも出席するなど、その扱いは決して軽くない。本人も信長や織田家をかなり気に入っている様子。 滝川一益(たきがわ かずます) 織田家家老格。冷静な戦巧者。甲賀ゆかりの者で、恒興の従兄弟。信長軍の鉄砲隊を率い、その力量は家中に知れ渡っている。謎めいた雰囲気の持ち主だが、信長派の面々に合わせて鎧を新調する一面もある。 佐久間信盛(さくま のぶもり) 織田家家老格。信長軍の中核を担う。一益と行動を共にすることが多い。 織田勘十郎信行(おだ かんじゅうろう のぶゆき) 声 - 宮野真守 通称「勘十郎」。17歳。信長の実弟で末森城城主。優しく折り目正しい人物。顔立ち自体は兄である信長と似ているのだが、目つきや表情の違いからか、与える印象はかなり異なる。信長を慕っており、「尊敬する兄上」の役に立ちたいと思っているのだが、なかなかその機会に恵まれない。 林佐渡守秀貞(はやし さどのかみ ひでさだ) 通称「佐渡」。織田家筆頭家老。織田家臣団の重鎮。古株で信長の行動に振り回されがち。現在は那古野ではなく、信行や勝家と共に末森に居るらしい。話す時に顔を近づけすぎて、しかも顔が濃くて暑苦しく、信長に真剣に話をしても聞いてもらえない。 柴田権六勝家(しばた ごんろく かついえ) 通称「権六」。織田弾正忠家家老。織田家臣団の重鎮。現在は信行の家臣として織田家を支える。理性的な武人だがリアクションが大袈裟。武器は巨大な棘付き鎖鉄球。右の頬に深い大きな傷跡があるというインパクトの強い風貌なのだが、自身が落ち着いた性格であることに加えて、顔が濃い秀貞が傍にいるせいか、信長にその存在を気付いてもらえないことが多い。 濃姫(のうひめ) 同盟の為に織田家に輿入れした美濃国主・斎藤道三の娘。18歳。信長の正室だが、関係は夫婦というより同志に近い。信長のことを「上総介殿」と呼ぶ。性格は「熱くてカッコイイ」が多少ざっくりしている。戦闘能力は高いが生まれつき心臓が弱いため長くは戦えない。体力をつけるために幼少より父から武芸を学んでいたのだが、結局体力はつかずに父譲りの才能だけが見事に開花してしまった。体のことは一部の者しか知らず、城の者には寺で療養している間「修行に出ている」と誤解されている。
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織田弾正忠家
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「センゴク外伝 桶狭間戦記」の記事における「織田弾正忠家」の解説
清洲織田家に仕える清洲三奉行の一つ。守護又代家の家老格という一族の末家ながら津島支配によって膨大な財力を持ち、清洲織田家からも一目置かれている。 織田信長(おだ のぶなが) 本作品の主人公の一人。幼名は吉法師、元服後は三郎、上総介を名乗る。織田信秀の三男。少年時代から青年時代にかけて自らを悪郎(わろ)と名乗る。危うい程の純粋さで父や祖父が目をつけてきた金銭に興味を持ち、嫡子ながら家臣たちも手を焼く問題児として後継者から外されていた。信秀から織田弾正忠家を託された後、兄弟や一族を手にかけて悲壮な覚悟の下に尾張統一を果たす。武士たる家臣団ではなく自らの頭で物事を考える商人衆を信頼し、商家の次男三男を馬廻りとして重用している。 父・信秀は雪斎に対し「米を得るための強さ」ではなく「銭を得るための弱さ」において類稀であるという信長観を語り、義元・雪斎の今川主従に強く注目されていくこととなる。信長自身も仮名目録追加を読み耽るなど義元の諸政策を研究し、強大化していく今川家を恐れている。そして今川家が尾張国に狙いを定めると、政務を投げ出して義元の考えを探り見抜く事に没頭、自他共に認めるように「惚れた相手」を見つけたかの如く四六時中、思案を続けていた。 尾張侵攻が始まると動揺する家臣や国人、商人衆を纏めながら僅かな可能性に賭けて奇襲を試みるも、悉く義元に看破されて追い詰められていく。しかし決死の覚悟で行った桶狭間の奇襲で遂に義元本隊を捕らえ、乱戦の末に義元を討ち取った。戦場から義元の首を持ち帰る際、服部小平太らに「惚れすぎた故にやっちまった」と呟くなど、憎悪と親愛の入り混じった感情を抱いていた事を吐露している。そして首検分で義元の首の前に座り、法度を作り民を養う者(義元)が死に、場当たり的に戦を繰り広げる自分が生き残るのが定めなら、「人間(じんかん)の限り業を尽くすのみ」と決意した。その後、天下統一事業に着手し、短期間で上洛を成し遂げる。 織田信秀(おだ のぶひで) 通称は弾正忠、三河守とも。法名は桃巌。信長の父で尾張守護代家老にあたる家柄である織田弾正忠家を統率する。父・信貞が手に入れた津島支配を背景に尾張で勢力を拡張しながらも、父とは異なり商人からの熱狂的をも取り付ける「器用の仁」。天魔鬼神の如き悪謀の持ち主で、武勇のみならず様々な策謀や計略にも長けており、急速に勢力を拡大させる。信長とは互いに殺そうとすらする奇妙な親子愛がある。 三河領有を巡る謀略合戦では義元の策略に陥って一度は窮地に立つも、「禁手」により竹千代を奪うなど大名としての経験差で勝利を奪い取った。しかし小豆坂の戦いで雪斎に敗戦、加えて期待していた長男・信広が今川軍の捕虜になる失態を犯した事で竹千代も奪い返され、三河領有で最終的な敗北を喫してからは覇気を失い始める。晩年には体調も悪化し、同族の反抗を許すまでになってしまう。しかし、織田信清の反乱を、軍勢の数に劣りながらその人心を掌握して一丸となって当たりこれを鎮めた後、信長に胸襟を開き、父信貞の恐怖の治世を上回るために「仁道を説き義で人を支配」しようとした自らの夢と、それをなし得ず父の撒いた恨みを宥めることに終止した現実を語り、自分の「器用」で義元に優れなかったが故に「日ノ本で最も不器用」な信長を後継と定め、後を託して亡くなった。 織田信貞(おだ のぶさだ) 通称は弾正忠、法名は月巌。信秀の父であり、信長の祖父にあたる。銭に飢えた人物で、富を得るためなら手段を選ばなかった事から大悪漢と恐れられる。商業で栄える津島に侵攻してその富を武力で奪い取り、織田弾正忠家発展の基礎を築いた。尾張の商人衆からは悪鬼の如く憎み恐れられ、最後には怪死したという。信秀は信長に「いつかは自分が殺していたかもしれない」と語り、故に信長は自身よりも信貞に似ていると語っていた。 織田信広(おだ のぶひろ) 通称は三郎五郎。信秀の長男で、信長・信行・秀俊の兄。小豆坂の戦いでの先鋒役を務めるなどの事跡から、本作では庶子ながら当初は家督継承の筆頭であったと解釈されている。単に長男というだけでなく武勇の誉れも高く、父や家臣団からの深い信頼を集めていた。当主代理として人質であった松平竹千代の養育も任されるが、その際に自身に一礼をしなかった竹千代を「凡庸で将器はない」と評価していた(当の竹千代は信長と会った際には一礼している)。 家督相続を前に織田家と今川家の決戦である小豆坂の戦いで先鋒役の大任を務めた。この戦いでは通説とは異なり遭遇戦ではなく奇襲での勝利を狙い、意図的に横槍を試みる様子が描かれている。だが奇襲は遠征軍を率いる太原雪斎に看破されており、逆に伏兵攻撃を受けて動揺した挙句に後方へ逃げ帰ってしまう。この失態から当初の勇名も廃れ、「悪銭」として家督相続から除外された。 その後は三河における織田家の前線拠点である安祥城城主を務めていたが、先の戦いで信広の弱気を見抜いていた義元の計略により安祥城の戦いで捕縛される。信秀は長男救出と引き換えに竹千代を手放す事を余儀なくされ、織田家の三河撤退の原因を作るという更なる失態を犯す。本編では信長の家督相続により弟に仕える身分として登場、伊勢長島包囲戦で信長の計略に激怒した一向宗軍の攻撃を受けて討死する。 織田信行(おだ のぶゆき) 通称は勘十郎。信長の実弟。文武両道にして威儀が正しく、それでいて父譲りの豪胆さも併せ持っている。母・土田御前からは信秀譲りの姿から深い寵愛を受けていた。 自身を利用しようとする叔父達の意図を見抜いた上で敢えて担がれる選択を行うなど、「弟は弟で手綱を取り辛い」と評される。柴田勝家ら重臣団からの信頼も得て稲生の戦いでは兄を上回る軍勢を引き連れて望むも、信長自らが手傷を負いながらの奮戦に敗北を喫してしまう。その後も信安、信広ら一族内の反信長派と連帯して対峙を続けるが、信長が商人衆の支持を取り付けると徐々に押されていく。そして遂に叔父・信安の失脚、勝家の寝返りによって失脚に追い込まれる。兄を勝利に導いた「銭」の力を自問しながら、土田御前の眼前で信長に刺殺される。 自らの死は覚悟していたと信長に伝えるが、互いの母の眼前であった事は「余りにも」と呻いた。 織田秀俊(おだ ひでとし) 通称は安房守。信秀の子で信長の兄弟に当たる。小豆坂の戦いで敗戦した父・信秀に反抗し、織田信清とともに挙兵する。 織田信光(おだ のぶみつ) 通称は孫三郎。信長の叔父にあたり、信長の後見役として補佐に当たる。織田信友を討つのに大功を挙げたが、その信頼を警戒した信長の策謀によって自らの家臣に討たれた。 織田信清(おだ のぶきよ) 通称は十郎左衛門。犬山城主。小豆坂の戦いで敗戦した信秀に織田秀俊と共に謀反を起こす。後に信秀によって鎮圧されるが、それが信秀の最後の戦となった。 平手政秀(ひらて まさひで) 通称は中務丞。織田信秀の家老。信長の守役でもあり、信秀の素質を最も濃く受け継いでいる信長に期待していた。信長の家督相続後は銭の横流しで混乱を抑えたが、そこを今川に突かれ謀殺される形で切腹。信長に義元を超えるよう託した。 柴田勝家(しばた かついえ) 通称は権六。織田信行の介添役。織田家を継いだ信長の器量を疑い、織田信安や信長側近の林秀貞、林通具とともに織田信行を擁立して謀反を起こした。しかし稲生の戦いでの敗戦や、土倉を手籠めにした信長の器量を認め、改めて臣従した。 服部小平太(はっとり こへいた)、服部小藤太(はっとり ことうた)、河村久五郎(かわむら きゅうごろう)、恒川久蔵(つねかわ きゅうぞう) 少年時代の信長とつるんでいた不良少年たち。いずれも商人の次男坊三男坊で、跡取りとなる目もなく実家からは役立たずの悪銭扱いを受けており、ゆえに行き場のない青春を不良として費やしていた。そこに参加してきた信長を自分たちも知らぬ間に頭として立てるようになると、信長の弱さ、不器用さを知った上でその人物を慕い、生命を預けるようになる。商家に生まれたことで自然と身に着けた商いのセンスによって自ら物事を判断し行動できることに信長も信を置き、後に信長の馬廻り衆となる。 毛利秀高(もうり ひでたか) 通称は新介。四角顔で吃音癖がある。熱田の名家毛利家の出身ながら若年期は家を出奔して落魄、堀田家の小間使いに身をやつし少年期の信長を何度も叩き出す。父信秀の敗戦を材料に堀田家を騙す信長の策略に利用された後、その身を案じた信長より堀田家から掠め取った金を渡され、逐電せよとの勧めに従い、信長の恩に報いることを誓う。後、桶狭間の合戦において信長の下に集い、指を失いながらも義元の首級を上げる手柄を立てる。本編第三部の「一統記」では本能寺の変の際、二条御所にて討死した様子が描かれた。かつての武勲は若い世代の憧れとなっており、討った明智軍の兵もその死を惜しんだ。
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