織田敏宗とは? わかりやすく解説

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織田敏宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/03 02:30 UTC 版)

 
織田敏宗
時代 戦国時代
別名 通称:左馬助
戒名 康勝寺殿岩常空大居士
主君 織田信秀
氏族 清州織田氏(大和守家)
父母 父:織田敏定
兄弟 寛定寛村敏信?、敏宗良信?、
秀敏信定?、信安?、飯尾定宗?、
大雲永瑞?
京極常観娘[1]
飯尾定宗、永政[2]
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織田 敏宗(おだ としむね) は、戦国時代武将。通称は左馬助織田信秀の伯父、織田信長の大伯父。

略歴

織田敏定の子として誕生。

清洲三奉行の一家「織田弾正忠家」の織田信秀に仕え、天文13年(1544年8月三河国松平長親が死去すると、三河安祥城攻めに出陣(安城合戦)、3000を率いるも攻略に失敗し、やむなく撤退した。この際、腹へ傷を負ったとされる。翌天文14年11月9日1545年12月12日)、京極常観の娘を娶った。

なお没年は定かではないが、死因は病死とされる。また後に子とされる定宗飯尾氏の養子となったという。法名は康勝寺殿岩常空大居士。

脚注

  1. ^ 『寛政重修諸家譜』
  2. ^ 『信長公記』

出典




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