巨海道綱とは? わかりやすく解説

巨海道綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/22 05:54 UTC 版)

 
巨海道綱
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永正14年8月19日1517年9月4日
別名 新左衛門
主君 三河吉良氏
氏族 大河内氏→巨海氏
兄弟 大河内貞綱道綱
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巨海 道綱(こみ みちつな)は、戦国時代武将三河吉良氏の家臣。

出自

巨海氏は大河内氏の支流で三河国幡豆郡巨海[1]を本貫地とする。「巨海」は「おおみ」と読むとしている資料(『静岡県史』など)もあるが、本貫地は「こみ」と読み「古海」「古見」とする文書も存在することから、「こみ」が正しいと思われる。

略歴

道綱は大河内氏から巨海氏に養子に入ったものと思われる。同時代の文書に「巨海越中守」の名前が表れるが、あるいは養父かも知れない。なお、道綱は同じ吉良氏の重臣、高橋氏の出であるという異説も存在する。道綱が引馬城で滅んだため、系譜は不明である。

兄・貞綱と同じく遠江国で活躍、河匂荘[2]の代官を務めていた。今川氏親の遠江侵攻に頑強に抵抗し、斯波義達と結び引馬城に篭もるが、永正14年(1517年)8月19日に陥落、兄と共に自害した。

脚注

  1. ^ 現在の愛知県西尾市巨海町。
  2. ^ 現在の静岡県浜松市中央区河輪町。




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