分部光嘉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/21 02:29 UTC 版)
分部 光嘉(わけべ みつよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。伊勢の国衆長野氏の一族・細野藤光の子として生まれ、同族の分部氏を継ぐ。長野家の養子となった織田信包(織田信長の弟)に仕えて伊勢上野城主となり、のちに豊臣政権下で独立大名となった。関ヶ原の戦いの際には東軍に属し、安濃津城での籠城戦(安濃津城の戦い)で功績を挙げ、伊勢上野藩2万石の大名となった。名は政寿(まさとし)などとも伝わる[2]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『寛政重修諸家譜』巻第三百九十二、国民図書版『寛政重修諸家譜 第三輯』p.5。
- ^ a b c d e f g h “分部光嘉”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年1月4日閲覧。
- ^ a b 三重県総合博物館 2016, p. 23.
- ^ a b c d e f 『寛政重修諸家譜』巻第三百九十二、国民図書版『寛政重修諸家譜 第三輯』p.6。
- ^ “華林廟”. 三重の歴史・文化散策マップ. 重県環境生活部文化振興課. 2022年1月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g “第61話 伊勢上野初代藩主 分部光嘉”. 歴史の情報蔵. 三重県県史編さん班. 2022年1月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “上野城と分部氏の活躍、そして転封”. 歴史の情報蔵. 三重県県史編さん班. 2022年1月3日閲覧。
- ^ a b c “歴史散歩(108) 分部氏のあゆみ”. 津市. 2022年1月7日閲覧。
- ^ a b “浅井三姉妹-茶々・初・江[ごう]-ゆかりの地”. 津市. 2022年1月7日閲覧。
- ^ “国人長野氏の本拠と北伊勢進出”. 歴史の情報蔵. 三重県県史編さん班. 2022年1月3日閲覧。
- ^ a b c 三重県総合博物館 2016, p. 21.
- ^ a b “津藩祖 藤堂高虎”. 津市. 2022年1月3日閲覧。
- ^ “円光寺”. 三重の歴史・文化散策マップ. 重県環境生活部文化振興課. 2022年1月4日閲覧。
- ^ a b 三重県総合博物館 2016, p. 22.
- ^ a b “お伊勢参りの道 津市”. Network2010. 2022年1月5日閲覧。
- ^ a b “歴史を織りなす、桃山美術の華麗な工芸品”. 1089ブログ. 東京国立博物館 (2020年10月28日). 2022年1月5日閲覧。
- ^ “刀〈無銘伝志津/〉”. 国指定文化財等データベース. 文化国庁. 2022年1月5日閲覧。
- ^ 大阪市立中央図書館(回答) (2008年7月14日). “徳川家康所有の短刀で、重要文化財に指定されている「わけベしず」という刀の掲載されている図書がみたい。”. レファレンス協同データベース. 2022年1月5日閲覧。
- ^ a b c d “分部志津”. 刀剣ワールド. 刀剣ワールド財団. 2022年1月5日閲覧。
固有名詞の分類
- 分部光嘉のページへのリンク