関ヶ原の戦い:安濃津城の戦いとは? わかりやすく解説

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関ヶ原の戦い:安濃津城の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 02:19 UTC 版)

分部光嘉」の記事における「関ヶ原の戦い:安濃津城の戦い」の解説

慶長5年1600年)、徳川家康会津征伐従軍して小山至ったが、西軍挙兵の報を受けると家康指示受けて安濃津城富田信高とともに急ぎ伊勢国帰国した。光嘉は上野城放棄し、信高の安濃津城入城してともに守備に当たり、毛利秀元長束正家西軍大軍攻勢によく耐えた(安濃津城の戦い)。西軍との交渉成立し安濃津城開城し、光嘉は高野山のぼった関ヶ原の戦い東軍勝利に終わると、安濃津城での軍功賞され本領安堵の上奄芸郡内で1万石の加増を受け、2万石の大名となった伊勢上野藩)。しかし翌慶長6年1601年11月29日死去した享年50前年籠城戦受けた傷が悪化したためという。 光嘉には実子として分部光勝がいたが、慶長4年1599年)に早世した。このため、光嘉の外孫にあたる分部光信長野正勝と、光嘉の娘の間に生まれた子)が嗣子となる。

※この「関ヶ原の戦い:安濃津城の戦い」の解説は、「分部光嘉」の解説の一部です。
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