関ヶ原の戦い以後とは? わかりやすく解説

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関ヶ原の戦い以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 22:39 UTC 版)

堀直政」の記事における「関ヶ原の戦い以後」の解説

慶長6年1601年)、家康秀治書状送り徳川家直轄領になっていた佐渡起きた一揆の鎮圧直政命じた慶長10年1605年)頃になると、家康の命により高台院の望む秀吉菩提寺建設かかった秀吉生前建てた康徳寺を移転拡張し高台寺を建て、費用半分直政負担した開山堂内陣には直政木像祀られている。高台寺建築中、伏見滞在しており、この時家康秀治息子徳川家からの嫁を懇願していた。家康はこれを聞き入れ外孫にあたる本多忠政の娘の百合姫徳川秀忠養子として嫁がせた。さらに秀忠偏諱与えて忠俊と改名させ、松平姓与えられたが、終生徳川将軍家親藩譜代としての扱い受けられなかった。慶長10年1605年)、堀親良対立する慶長11年1606年5月秀治死去すると、幼少の忠俊を補佐した慶長13年1608年12月62歳で死去した歴戦をくぐり抜けた勇将であったと言われている。『堀公記』によると死後城東の圓昌寺」というところに埋葬されたという。後に直寄の手により、高野山正智院改葬された。

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関ヶ原の戦い以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 02:33 UTC 版)

日本丸 (安宅船)」の記事における「関ヶ原の戦い以後」の解説

文禄・慶長の役後の日本丸消息として、『浄清遺筆』には慶長5年1600年)の関ヶ原の戦い時に西軍となった嘉隆鬼宿丸(日本丸)に座乗したとある。また『日本海運図史』(逓信省管船局)には嘉隆領地鳥羽回航され、九鬼家の後に鳥羽藩となった内藤忠重によって500石積み60丁立の船に縮小改造の上大龍丸」に改名以後内藤家断絶後も、鳥羽藩持ち船として使用され老朽化のため安政3年1856年)に解体されるまでほぼ江戸時代通して残存したとある。 これが事実であれば船歴263年になるが、一般に木造船寿命長くとも20年程度であり、200年上使用という記述には疑点もある。しかし寛永7年1630年)には存在確認できる天地丸文久2年1862年)に廃船になるまでの230年上の間将軍御座船として存在した実例があり、維持管理次第では200年上の存続不可能ではない。 大龍丸の名を持つ船の動向として、『駿河国記』(山梨稲川)には小龍と共に元和元年1615年8月大坂より下り大龍丸は深川船蔵入れたとある。『寛政重修諸家譜』には慶長19年1614年)に勃発した大坂の陣で、三国丸以下安宅船5艘、早船関船小早50艘で出陣した九鬼守隆率い九鬼水軍は、野田・福島の戦い大坂方の福島丸・伝帆丸・盲船1艘を鹵獲したとある。この内福島丸・伝帆丸が記載された点から、大坂の陣後比定される九鬼家持ち船を記載した『船付之覚』には、安宅船として三国丸阿波丸豊後丸の3艘が記載されている。このため残りの2艘が大龍丸・小龍丸に比定され、大坂の陣参加し終結後幕府召し上げた。 なお阿波丸豊後丸は慶長14年1609年9月西国大名対す大船没収没収した大船の内、翌年2月幕府より守隆へ阿波国蜂須賀至鎮豊後国稲葉典通大船2艘を与えられており、船名からもこの2艘に比定される。三国丸鳥羽船大工記録志州鳥羽寸法』から、阿波丸没収時に蜂須賀家作成した目録から日本丸よりも大型同等で、より新しいことが分かり幕府九鬼水軍安宅船から比較古く小型の2艘を召し上げた。 続いて寛永年間江戸描いた江戸図屏風内の船手頭向井忠勝挙行した船行列には最大の船として、江戸幕府船印向井家の「む」の旗印付けた大龍丸の姿がある(右画像3段目、図屏風評価について後述参照)。図屏風には関船天地丸500石積み76丁立)も描かれているが、小龍丸・大龍丸それよりも大型で、安宅船時代の姿を描いている。寛永期に行われた船行列の内、寛永7年1630年6月25日と同12年1635年6月2日船行列に大龍丸の名が確認できるその後、『寛文年録』記載寛文2年1662年6月10日船行列では大龍丸の数が60丁立になっている延宝8年1680年)の鳥羽城関係の史料公儀の船として「大竜丸五拾挺立陣船」とあり、以上に従えば大坂夏の陣までは九鬼家持ち船だった日本丸は、豊臣家滅亡後幕府持ち船となるまでに大龍丸へ改名され幕府の手縮小改造された後に内藤家預けられたことになる。

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