重光流竹中氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 17:46 UTC 版)
重光の長子である竹中重利は羽柴秀吉より美濃で3,000石の所領を賜い宗家から独立した。のちに領地替えとなり豊後高田で13,000石の大名となった。さらに関ヶ原の戦いにおいて徳川家康についた功により豊後の大分城を与えられ2万石の大名となるが、子の竹中重義は長崎奉行に任命されるも、密貿易の罪で幕府より切腹を命じられ、改易となった。 重光の次子である竹中重定も羽柴秀吉に仕える。また、豊臣二世関白となる羽柴秀次の側室に、娘が上がり「羽柴土丸」を産む。関ヶ原の戦い以後は徳川家に仕え、摂津吹田を領する上級旗本として続いた。鷹司家(鷹司松平家)とも姻戚関係だった。
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