関ヶ原の戦い以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 15:52 UTC 版)
天文16年(1547年)出生。生家の京都小笠原氏は、室町時代初期に小笠原宗家(信濃小笠原氏)から分かれ、代々京都で奉公衆として室町幕府に仕えていた。父の小笠原稙盛(稙清、備前守・民部少輔)は足利義輝の近習であったが、永禄8年(1565年)5月19日の永禄の変で義輝と共に討死した。秀清は変の後に浪人となり京都深草に住し加々美少左衛門と名をあらためていたが、後年丹後国で細川藤孝の客分となり、500石(600石とも)を給された。後に剃髪して少斎と号したが、その時期は藤孝と同時の天正10年(1582年)とも、慶長元年(1596年)ともいう。
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