関ヶ原の戦いにまつわる噂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 08:56 UTC 版)
関ヶ原の戦い直前の徳川家康が揖斐川を渡り当地に入ろうとした際、石田三成方に銃撃されたという噂もある(『美濃神戸ふるさと百話』による)。これは作り話の可能性もあるが、後に将軍となったため緘口令がしかれた可能性もある。なお、家康が当地を通ったのは事実であるが、柿を手に取って「大柿我が手に討つ」と大垣にいた三成を指して言い、甘柿にも関わらず「ああシブかった、シブかった」(四部勝った+四部勝った=八部勝った、という意味)と言ったといわれている(同書)。 なお、石田三成は天正19年(1591年)に神戸とは伊吹山地を挟んだ佐和山城に入っているが、当初は蔵入地の代官として佐和山城に入ったもので、正式に佐和山城主になる文禄4年(1595年)以前の三成本人の所領は神戸とその周辺にあって佐和山から統治していたとする指摘が出されており、神戸は三成が領主を務めたゆかりの土地であったことになる。
※この「関ヶ原の戦いにまつわる噂」の解説は、「神戸町」の解説の一部です。
「関ヶ原の戦いにまつわる噂」を含む「神戸町」の記事については、「神戸町」の概要を参照ください。
- 関ヶ原の戦いにまつわる噂のページへのリンク