独立大名となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 02:19 UTC 版)
文禄3年(1594年)、織田信包は秀吉の命により近江国に移された。光嘉は信包から離れることとなり、文禄4年(1595年)に秀吉から伊勢国飯野郡・度会郡・一志郡内で3000石を与えられて独立大名となる。慶長2年(1597年)に奄芸郡で1280石、慶長3年(1598年)に一志・度会郡内で5780石を加増され、1万石余の大名となった。この間の慶長2年(1597年)12月10日、従五位下左京亮に叙任。
※この「独立大名となる」の解説は、「分部光嘉」の解説の一部です。
「独立大名となる」を含む「分部光嘉」の記事については、「分部光嘉」の概要を参照ください。
- 独立大名となるのページへのリンク