独立宣言への対処
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 05:14 UTC 版)
「セルビアとコソボの関係」の記事における「独立宣言への対処」の解説
「2008年コソボ独立宣言(英語版)」も参照 セルビアは、2008年2月17日のコソボ独立宣言には強く反対した。2008年2月12日、セルビア政府(英語版)は、予期されるコソボの独立宣言に対する行動計画を策定した。行動計画では、コソボの独立を承認する国への抗議として、当該国から大使を召還することなどが盛り込まれ、実際にコソボを承認した国から大使を召還した。またセルビアの高官はコソボを承認した国のセルビア駐箚大使とは会合をしない措置も取られた。コソボの政治家であるハシム・サチ、ファトミル・セイディウ、ヤクプ・クラスニチに対して、セルビア内務省(英語版)は2008年2月18日、大逆罪での逮捕状を発行した。 2008年3月8日、セルビア首相ヴォイスラヴ・コシュトニツァは、コソボ情勢への対処をめぐり克服しがたい意見の相違があるとして首相職を辞職し、自らが率いるセルビア民主党の連立政権からの離脱を表明した。2008年3月11日の地方選挙(英語版)に合わせて、前倒しで議会総選挙(英語版)が行われ、セルビア大統領ボリス・タディッチは「欧州連合加盟の推進をめぐり合意できなかった」ことを政権崩壊の理由として挙げた。 2008年3月24日、セルビアのコソボ・メトヒヤ担当大臣スロボダン・サマルジッチ(英語版)は、コソボを民族ごとの領域に分割する案を示し、国際連合に対してコソボ領内でセルビア人が多数を占める地域に置かれているセルビア政府の関係機関の保全を求めたが、大統領および閣内の同意は得られなかった。2008年3月25日、首相を辞職したヴォイスラヴ・コシュトニツァは、欧州連合がセルビアの現行の国境を認めるまでの間、加盟交渉は停止すべきだと述べた。 2008年7月24日、召還していた各国駐在のセルビア大使のうち、欧州連合加盟国には大使を復帰させた。その他の国々から召還していた大使は、この後10月の国際連合総会で、コソボ独立宣言の合法性について国際司法裁判所に諮るべしとする決議(後述)が可決された後に復任した。この決議の直後にコソボを国家承認したモンテネグロやマケドニア共和国、マレーシアに対しては、大使の召還とともに、これらの国々のセルビア駐箚大使を追放する対処をとった。 2008年8月15日、セルビアの外務大臣ヴーク・イェレミッチは国際連合に対して、コソボ独立宣言の国際法上の合法性について国際司法裁判所に諮るべしとする案を提出した。2008年10月8日、この案は国際連合総会にて可決された。国際司法裁判所は、2010年7月22日にコソボの一方的独立宣言に関する勧告的意見(英語版)を言い渡し、独立宣言は合法であるとの判断を下した。
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