三河安藤氏嫡流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/11 04:29 UTC 版)
基能の嫡男安藤直次は、祖父や父のように志半ばで討ち死にすることもなく、戦乱の世を生き抜いた。 直次は家康の側近として活躍し、慶長15年(1610年)には家康の命により徳川頼宣(長福丸)の附家老に任じられたが、その後も幕政に参与していた。元和3年(1617年)には、遠州掛川城主となり、掛川藩2万8000石の所領を与えられた。元和5年(1619年)に頼宣が紀伊国に移ると、同国田辺城に3万8000石の所領を与えられ、以後幕末まで続き、明治政府によって独立大名と認められた(紀伊田辺藩)。 後述する重信系の安藤家が嫡流と誤認されがちであるが、あくまで嫡流は附家老安藤家である。
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