重信系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/11 04:29 UTC 版)
直次の弟(基能の次男)安藤重信は、元和5年(1619年)にそれまでの領地である下総国小見川2万石から加増移封されて、上野国高崎5万6000石の藩主となった。徳川幕府の要職を務め、上述の嫡流よりも石高が高いため、こちらが嫡流と誤認されがちである。 小見川藩、高崎藩、備中松山藩、加納藩、磐城平藩と移封を繰り返したが、磐城平藩主の時期に戊辰戦争で奥羽越列藩同盟に加盟したことで有名であり、磐城平安藤家と呼ばれることもある。幕末に公武合体を進めた老中の安藤信正も磐城平藩主である。現在、磐城平安藤を略して「平安」を称する団体や施設もある。この例として、磐城平安藤家や藩士家系の親睦会である「平安会」や、2007年以前のいわき駅北口(磐城平城の方向)の「平安橋」などがある。
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