井伊直元_(戦国時代)とは? わかりやすく解説

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井伊直元 (戦国時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 20:47 UTC 版)

 
井伊 直元
時代 戦国時代中期
生誕 不明
死没 天文10年5月14日1541年6月8日)?[1][注釈 1]
天文15年5月14日(1546年6月12日)?[2][3]
戒名 隠龍院殿賢翁道哲大居士[2]
墓所 龍潭寺浜松市浜名区引佐町井伊谷[4]
官位 刑部少輔[2]刑部大輔[3][5]
主君 今川義元
氏族 井伊氏
父母 父:井伊直平、母:井平安直娘[6]
兄弟 直宗直満直義直元、井平直種[6]
女(今川義元側室→義元養妹→関口親永室?)[3][5]
養兄弟?:南渓瑞聞 [注釈 2]
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井伊 直元(いい なおもと)は、戦国時代武将今川氏の家臣。遠江国引佐郡井伊谷城主・井伊直平の五男[5]

人物

井伊氏は遠江の国人であるが、父の直平と共に今川義元に仕えた。天文10年(1541年[1]または天文15年(1546年[2]、井伊谷で病死したとされる。ただし、弘治4年(1558年)4月6日付の祝田禰宜宛ての井伊直元の判物[9]もあり、正確なところは不明[10]

脚注

注釈

  1. ^ 宗牧著『東国紀行』の天文13年の記述にて井伊直元の動向と見られるものがあり、直元であればまだ亡くなっていない。
  2. ^ 各種系図では実子か養子かの記載が無いが、龍潭寺が所蔵する『南渓過去帳』には「実田秀公居士 南渓父」と記されており、直平の法名(桂雲院殿西月顕祖大居士[7])とは異なるため、南渓は養子と推定されている[8]

出典

参考文献




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