今川氏と清水寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:56 UTC 版)
「清水寺 (静岡市)」の記事における「今川氏と清水寺」の解説
駿河の守護大名・今川氏輝は1513年(永正10年)に、8代今川氏当主・氏親の嫡男として生まれ、13歳で元服した。その翌年に氏親が死亡したため家督を継いだが、このとき氏輝はわずか14歳の若年であったため、氏親の正室・中御門氏が髪をおろし、寿桂尼と名乗って補佐役となっている。その後、1536年(天文5年)に氏輝が24歳で死亡したときに、清水寺の開創を遺命したとされる。「今川記」によれば、氏輝は当時より臨済宗を信仰していたとされているため、遺命でなぜ真言宗の寺院を開創させたのかは謎であるが、寿桂尼が京都出身であり、観音信仰を持っていたからである可能性がある。 また、氏輝が死亡したのと同日に弟・彦五郎も死亡し、後に家督を巡る争い(花倉の乱)が引き起こされている。そのためか、漸く1559年(永禄2年)になって氏輝の遺命が実行され、今川家臣・朝比奈丹波守元長が当寺を建立した。その際、地形が京都の清水寺と似ているため、この寺名が付けられた。
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