今川義元と桶狭間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 00:43 UTC 版)
守山崩れの後、三河国は駿河・遠州の今川義元による版図となり、正忠は今川方の属将となる。正忠の後に、忠俊が伊奈城主を継いだ。 1560年(永禄3年)、桶狭間で今川義元が敗死すると、忠俊は子の光忠と共に松平元康(徳川家康)の下に参じて戦功を重ねることとなる。忠俊の後、光忠は病身であったため弟の忠次が伊奈城主となる。
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