今川義元仏式の墓碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 00:16 UTC 版)
「桶狭間の戦いの戦場に関する議論」の記事における「今川義元仏式の墓碑」の解説
今川義元仏式の墓碑(いまがわよしもとぶっしきのぼひ)は、桶狭間古戦場伝説地のうち香華山高徳院境内ののり面ある墓碑で、今川義元の300回忌にあたる1860年(万延元年)に建立されたものである。方形の石柱と蓮花弁および笠を模した台座が組み合わさった墓塔の形状をなしていることから、仏式の墓碑と呼ばれている。正面には「天澤寺殿四品前礼部侍郎秀峯哲公大居士」、右側面には「万延元年庚申五月十九日」、左側面には「願主 某」とそれぞれ刻まれている。 なお、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した儒学者細野要斎は旅の途中でこの300回忌の法要に立ち会ったとみられ、随筆『感興漫筆』において江戸時代末期の「屋形はさま」の様子を書き記している。
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