いまがわ‐よしもと〔いまがは‐〕【今川義元】
今川義元
今川義元(いまがわ よしもと) 1519~1560
◇父:今川氏親 室:武田信虎女 子:今川氏真、泉奘、長得
僧籍にあったが兄急死後、兄良真との家督争い(花倉の乱)に勝ち、駿河・今川氏当主となる。太原雪斎を軍師に迎えて相模・北条氏、尾張・織田氏に侵攻し勢力を拡大、後には甲相駿三国同盟を結んで地盤を確実なものとした。内政についても父からの領国経営を継承して検地を徹底、直臣の強化を図ると共に、「仮名目録追加」21ヶ条を出している。今川氏は全盛期を迎え、“海道一の弓取り”とうたわれた。1560年、2万7千の大軍を率いて上洛を図る(尾張攻略のみとも)が、桶狭間において雨の中休息中、尾張・織田信長に奇襲を受け、自ら太刀を振るって戦うが、その臣毛利新介に討たれた。享年42歳。義元は京風文化に憧れ、顔に化粧を施し、又、肥満していた為、行軍時は輿に乗っていたという。
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