今川一門
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今川義元(いまがわ よしもと) 演:春風亭昇太 駿河国の太守。井伊家を屈服させ従わせている。身内以外の下の身分の者がいる場では直答することはなく、側近を介すか所作にて意志を伝えている。支配下における敬称は「太守様」。 直満の謀反を疑い、駿府の今川館に呼び出した末家臣に命じて討たせた。その後、既に同盟相手であった武田家に加え、敵対していた北条家とも同盟を結び、東への憂いを絶った上で西方への進出に乗り出す。 遠江・三河を制圧すると、家督を嫡男の氏真に譲り、自身は尾張侵攻に本腰を入れ始めるが、その矢先、桶狭間にて織田勢の奇襲を受け討ち死にする。 寿桂尼(じゅけいに) 演:浅丘ルリ子 義元の母。聡明な女性であり、今川家を支える女傑。病身であった夫の晩年期や幼少時の嫡男を助けて政務をみていたことから「女大名」とも呼ばれる。また、孫の氏真からは「お婆(ばば)様」、それ以外の者からは内からは「大方様」、外交相手からは「尼御台様」と呼ばれている。 「大らかで余裕のある」風情の尼君として、人質として召し出された子供時代のおとわが会っている。義元が討たれると、氏真を支えて今川を盛り立てようとするが、松平の離反をはじめとする今川の威勢の衰えに余裕を失っていき、不穏勢力を粛清することで権勢を維持しようとする。井伊にも忠義を試す罠を仕掛け、家臣である刀傷の男(演:星田英利)に元康のふりをさせ、罠にはまって内通の意を見せてしまった直親を誅殺させる。直虎が後見に立った際には、政次の申し入れもあり阻む動きに出て、今川からの命に従わぬ直虎を襲撃させもするが、彼女の「井伊の領民を富ませることを目指し、それが今川を潤すことにもなる」という申し開きを受け入れ、後見を許している。 第16回で倒れ一時危篤状態に陥るが、武田の義信幽閉の知らせを聞き持ち直す。義信が自刃すると、敵対する姿勢を見せ始めた武田に対処するために、外には病身を推して義信に嫁いでいた孫の鈴を今川に戻すためはたらきかけたり、北条との関係強化に務めたりする。また内に対しては「最後の面談」を名目に直虎はじめ、今川配下の国衆の忠誠を見定め帳面に記し、その後の指示を氏真に残し、第29回にて没す。 今川氏真(いまがわ うじざね) (龍王丸 → 今川氏真) 演:尾上松也(少年期:中川翼) 今川義元の嫡男。幼名は龍王丸(たつおうまる)、官名は上総介。義元没後は「太守様」と敬称される。 蹴鞠を得意としており、幼少期には蹴鞠で自身に勝てたら褒美を与えると触れていたところ、自身が失敗するまで挑み続けるという方法で、おとわには井伊谷帰還を、瀬名には将来の婚約をそれぞれ勝ち取られてしまう。しかし、後者に関しては同盟のための北条家の姫との政略結婚で反故とする。 桶狭間の戦いより以前に義元から家督を譲られていたが、その頃は政務にはあまり熱心ではない。桶狭間で父が討たれてからは従属していた家臣・国衆の造反が相次ぎ、義元が「戦上手」と称賛し、自身も高く評価していた元康すら造反したことを知ると激怒し憎悪するようになる。今川の衰運は止められないと自棄になりつつも、祖母の補佐のもと粛清を進める。直親離反発覚を契機に、今川に恭順の姿勢をみせてきた政次の知謀を喜んで容れたりしていたこともある。井伊と直虎に対しては常に警戒しており、事ある毎に圧迫している。 寿桂尼没後に武田との戦を決意したものの、裏切りや離反が相次ぎ駿河を奪われ、掛川城に逃れて徳川軍を凌いでいる最中に家康が申し入れていた和睦を受け入れ、春と共に春の実家である北条家に落ちのびる。しかし、氏康の死亡後に北条が武田と再び結んだため、夫婦共々家康に保護を求め庇護下に入る。その後は家康の下で、生きのびるために信長に蹴鞠を披露するなどの活動もいとわずしたたかに立ち回り、瀬名を救うため北条との交渉役を引き受けるなど活躍し、直虎とも最終的には怨恨を越えて和解する。 春(はる) 演:西原亜希 氏真の正室。北条氏康の娘。 同盟の一環として北条家から今川家に輿入れする。雅やかな今川の家風を好ましく感じている。夫の氏真や一門との仲も良好であり、義元没後の苦境にある氏真を硬軟に接して支えている。
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