瀬名氏貞とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 瀬名氏貞の意味・解説 

瀬名氏貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/29 17:18 UTC 版)

 
瀬名 氏貞
時代 戦国時代
生誕 明応6年(1497年
死没 天文7年3月16日1538年4月25日
別名 源五郎
戒名 松寿院殿玉山椿公大禅定門
墓所 松寿院(静岡県静岡市葵区瀬名) 
官位 従五位下、陸奥守
主君 今川氏親
氏族 清和源氏足利氏今川氏瀬名氏
父母 父:瀬名一秀
兄弟 氏貞、貞清、氏成
堀越貞基の娘
氏俊義広(関口親永)、氏次、女(武田左衛門尉某室)
テンプレートを表示

瀬名 氏貞(せな うじさだ)は、戦国時代武将遠江今川氏の流れを汲む瀬名氏の2代当主。

生涯

はじめ遠江国二俣城に住した。のちに駿河国庵原郡瀬名村(現:静岡県静岡市葵区瀬名)に住んだ。

栴岳承芳(今川義元)と玄広恵探が争った花倉の乱では、承芳方に属した。

寛政重修諸家譜』は、天文7年(1538年)3月16日没、享年42としるす。

系譜

寛政重修諸家譜』の「瀬名」系譜は3男1女を載せる。嫡男の氏俊、次男の義広築山殿の父)、氏次(うじつぐ、勘十郎)、女子(武田左衛門尉某室)である。

ただし、天文20年(1551年)頃と作成年代が絞ることが可能な 『土佐国蠧簡集残篇』所収「今川系図」からは氏次の存在は確認できない(瀬名元世のように庶流出身の人物が同時代史料に登場するため、同族の可能性はある)[1]。また、小鹿安房守(範満の甥[2])の子である又五郎もしくはその子・民部少輔の妻が氏貞の娘と推定されている[3]

脚注

  1. ^ 黒田基樹「総論 今川氏真の研究」『今川氏真』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第三五巻〉、2023年9月、35頁。ISBN 978-4-86403-485-2 
  2. ^ 黒田基樹「総論 今川氏親の新研究」『今川氏親』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第二六巻〉、2019年4月、22-25頁。 ISBN 978-4-86403-485-2 
  3. ^ 黒田基樹「総論 今川氏真の研究」『今川氏真』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第三五巻〉、2023年9月、31頁。 ISBN 978-4-86403-318-3 

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「瀬名氏貞」の関連用語

瀬名氏貞のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



瀬名氏貞のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの瀬名氏貞 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS