徳川家康の浜松居城時代とは? わかりやすく解説

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徳川家康の浜松居城時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/07 01:59 UTC 版)

平岩元重」の記事における「徳川家康の浜松居城時代」の解説

元亀3年1572年12月浜松城徳川家康は自領を進軍しつつあった武田信玄軍勢挑んで三方ヶ原の戦い敗れた。家忠と陣代松井忠次麾下東条衆は家康を護って奮戦した多数死傷者出した。元重は家忠を扶け退却する甲州勢はなおも追撃懸けてきたために、家忠は危機瀕するにわかに元重は取って返し敵を防いだので辛うじて家忠は虎口脱した天正3年1575年5月長篠の戦いの際には巣山城の武田勢攻める、酒井忠次率い急襲部隊に元重は松平康親属して参加城将武田信実城門より迎撃に出るが、元重は城に登り火を放ったという。結果、城は陥落し信実戦死した。 しかし、武田勝頼騎兵掛川城諏訪原城の間に出して徳川軍往来遮断し脅かした。そこで家康同年新坂八幡に砦を築かせ、元重を選んでこれを守備させた。この時、騎士30騎・鉄足軽100人を元重に付属せしめた。元重はこの新坂砦より幾たびも出軍して武田勢敗走させたため、遮断され徳川軍連絡回復した家康新坂・常戒寺の2をこの褒賞として元重に給与した

※この「徳川家康の浜松居城時代」の解説は、「平岩元重」の解説の一部です。
「徳川家康の浜松居城時代」を含む「平岩元重」の記事については、「平岩元重」の概要を参照ください。

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