徳川家康へ伝来とは? わかりやすく解説

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徳川家康へ伝来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 04:51 UTC 版)

妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ」の記事における「徳川家康へ伝来」の解説

明良洪範続編によれば本作御宿家伝来の刀であるとされる天正12年1584年前後織田信雄から徳川家康贈られたと神社宝物台帳記されている[要ページ番号]。社伝によると、家康はこの刀を最も好み、戦に幾度か使用したほか、常に身に付け、夜は枕刀にするほどだったという[要ページ番号]。また、本作行光作の脇差大小揃い物であり脇差の拵には鐔(つば)が付属していない珍しい形式であるが、これは帯刀するのに邪魔にならないように造られたものであり、確実に家康差していた刀ともいわれている。 『徳川実紀』における家康記録記した東照宮御実紀』、および秀忠記録記した『台徳院殿御実紀によれば家康大坂の陣によって豊臣宗家羽柴家)を滅ぼした後も、死の直前家臣命じてこの刀で罪人試し斬りをさせ、徳川家に対して不穏な動向のある西国大名謀反起こすことのないよう、この刀の切先を西に向けて、その刀の剣威によって徳川家の子孫を鎮護するため久能山東照宮安置するように遺言残したという。また、刀の身長は2尺2寸余柄長は7寸であって長さ重さ手頃なので、老体且つ病弱家康でも死の前日に柄を握って2、3振りはすることは出来たとされている[要ページ番号]。 明治44年1911年4月17日古社寺保存法による国宝指定されている。奇しくも指定され4月17日家康命日であった昭和25年1950年)の文化財保護法施行後重要文化財となった久能山東照宮所有し内陣御神体同様に祀られている[要ページ番号]。

※この「徳川家康へ伝来」の解説は、「妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ」の解説の一部です。
「徳川家康へ伝来」を含む「妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ」の記事については、「妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ」の概要を参照ください。

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