徳川家康判物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 15:50 UTC 版)
牛久保城主・牧野成定が徳川家康に臣従した際に家康より発給された永禄9年(1566年)5月9日付けの家康の判物の末尾に「諸給人の儀、五・六人衆に相計る可き事」と特に付記されている。また同年10月23日(新暦11月19日)に牛久保城主・牧野成定が病死した際には、家康の異母弟・水野信元より下し置かれた徳川家康判物への添え状(同年11月13日付け(新暦12月9日付け))に、牧野山城守・能勢丹波守・(岩瀬)嘉竹斎・真木越中守・稲垣平右衛門尉・山本帯刀左衛門尉・同美濃守と宛名が記載。 されている。
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