徳川家康の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 05:23 UTC 版)
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは西軍に属して丹後田辺城攻撃などに参戦したものの、戦後に徳川家康は信包の罪を問わず、所領を安堵された。その後、信包は大坂城にあって姪孫である豊臣秀頼を補佐したが、慶長19年(1614年)7月17日、大坂冬の陣直前に大坂城内で吐血して急死した。享年72。片桐且元による毒殺の噂が流れたが、定かではない。家督は三男の信則が継承した。
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