徳川家康について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:17 UTC 版)
「徳川政治が終りを告げて明治維新を迎えようとした時、それまで抑えられていた外様の各大藩の反逆心が爆発し勢力争いを演じて西南の役その他となって現れた。大東亜戦争が終るまでの政治、経済、軍部すべての方面がその流れを汲んだ藩閥、派閥にあやつられて功名を競い、それらの人々による失敗が、やがてあの徹底的な敗戦日本に導いたと言える。あの民族の悲劇は、三河人の作った徳川政治から明治革命への転換をあせった諸国の大名や武士連中の不手際が遠因であると思う。家康の死後三百五十年にして、三河人家康をしみじみと思う。」
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