徳川家康との対立と朝廷への接近とは? わかりやすく解説

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徳川家康との対立と朝廷への接近

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:49 UTC 版)

豊臣秀吉」の記事における「徳川家康との対立と朝廷への接近」の解説

詳細は「小牧・長久手の戦い」を参照 天正11年1583年)、大坂本願寺石山本願寺)の跡地黒田孝高総奉行として大坂城を築く。大坂城訪れた豊後国大名大友宗麟は、この城のあまりの豪華さ驚き、「三国無双の城である」と称えた6月には、北条氏徳川氏との婚姻成立危機感抱いた関東領主たちから書状送られ関東の無事を求められる10月末に、徳川家康関東の無事が遅れていることについて書状糺した。 天正12年1584年)、織田信雄は、秀吉から年賀の礼に来るように命令されたことを契機秀吉反発し対立するうになる。そして3月6日、信雄は秀吉内通したとして、秀吉との戦い懸命に諫めていた重臣浅井長時岡田重孝津川義冬らを謀殺し、秀吉事実上宣戦布告をした。このとき、信長盟友で、天正壬午の乱経て東国における一大勢力となった徳川家康が信雄に加担し、さらに家康通じて長宗我部元親紀伊雑賀党らも反秀吉として決起した。 これに対して秀吉は、調略をもって関盛信)、九鬼嘉隆織田信包伊勢諸将味方につけた。さらに去就注目されていた美濃国池田恒興(勝入斎)をも、尾張国三河国恩賞にして味方につけた。そして3月13日、恒興は尾張犬山城を守る信雄方の武将中山雄忠を攻略したまた、伊勢国においても峰城を蒲生氏郷堀秀政らが落とすなど、緒戦秀吉方が優勢であった。 しかし家康・信雄連合軍もすぐに反撃出て羽黒布陣していた森長可破った羽黒の戦い)。さらに小牧堅陣敷き秀吉対峙した。秀吉雑賀党備えてはじめは大坂から動かなかったが、3月21日大坂から出陣し3月27日には犬山城入った秀吉軍も堅固な陣地構築し両軍長期間対峙し合うこととなり戦線膠着した(小牧の戦い)。このとき、羽柴10万織田徳川連合軍は3であったとされるそのような中、森長可池田恒興らが、秀吉の甥である羽柴信吉豊臣秀次)を総大将擁して4月6日三河奇襲作戦開始した。しかし作戦失敗し池田恒興池田元助親子森長可らは戦死した長久手の戦い)。 こうして秀吉兵力圧倒的に優位であるにもかかわらず相次ぐ戦況悪化で自ら攻略乗り出すことを余儀なくされた。秀吉加賀井重望が守る加賀野井城など、信雄の本領である美濃北伊勢諸城次々と攻略してゆき、危機感覚えた信雄は11月11日秀吉講和し、家康次男人質提出して和議結んだ。こうして秀吉は、軍事的に身分的にも織田信雄超えることで、織田政権一角から、豊臣政権の長へと君臨することになった。 この戦い最中10月15日秀吉従五位下左近衛権少将叙位任官された。秀吉官位得たのは筑前守就任天正3年1575年7月3日)が最初とされているが、この左近衛権少将初めての叙位任官とする説もある。秀吉官職でも、主家織田家順次凌駕することになり、信雄との和議後は自らは「羽柴」の苗字使用しなくなった。 なお、その後家臣となった有力大名対する「羽柴」の苗字下賜続いており、例え前田利家天正14年1586年3月20日左近衛権少将任じられ時に秀吉から「羽柴」の苗字と「筑前守」の受領名与えられており、秀吉のかつての名乗りであった羽柴筑前守」が利家によって名乗られることになる。

※この「徳川家康との対立と朝廷への接近」の解説は、「豊臣秀吉」の解説の一部です。
「徳川家康との対立と朝廷への接近」を含む「豊臣秀吉」の記事については、「豊臣秀吉」の概要を参照ください。

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