徳川家康と江戸幕府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/20 16:41 UTC 版)
徳川家康は、1602年(慶長7年)に熱海(大湯)に湯治に訪れ、さらに1604年(慶長9年)3月にも、徳川義直、徳川頼宣の2人の息子を連れて7日間滞在し、同年9月には、京都で病気療養中だった吉川広家の見舞いとして熱海(大湯)の湯を運ばせたとされる。 江戸幕府第3代将軍徳川家光は、大湯に程近い現在熱海市役所がある場所に、湯治用の「御殿」(ごてん)を作り、第4代将軍徳川家綱以降は大湯の温泉を真新しい檜の湯樽に汲み、江戸城まで運ばせる「御汲湯」(おくみゆ)が始められ、当初は人夫達が担いで運んでいたが後に船で海運されるようになり、第8代将軍徳川吉宗は8年間で3643個の湯桶を江戸城まで運ばせるなど、熱海(大湯)の湯は徳川将軍家に愛用された。(この故事に因み、かつては「湯汲みレース」が行われていたが、現在は、湯前神社の秋季例大祭初日に「湯汲み道中パレード」が行われている。)
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