松平康親_(福釜松平家)とは? わかりやすく解説

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松平康親 (福釜松平家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/10 15:28 UTC 版)

 
松平康親
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄10年(1567年)[注釈 1]
死没 元和3年2月23日[1](1617年3月30日)
別名 三郎次郎[1]、右京亮[1]
戒名 良心[1]
墓所 愛知県安城市福釜町の松平墓地
官位 従五位下 筑後守[1]
幕府 江戸幕府
主君 徳川家康
氏族 福釜松平家
父母 父:松平親俊 母:奥平定延の娘[1]
兄弟 久恒康親[1]
石川春重の娘[1]
康盛、盛重、康勝、女子2名[1]
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松平 康親(まつだいら やすちか)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、江戸幕府旗本福釜松平家4代当主。

生涯

天正9年(1581年)、父の親俊が死去した[1]。康親はまだ幼年(「いまだいとけなし」)であった[注釈 2]が、型通りの家督相続が認められ、徳川家康に仕えた[1]

天正18年(1590年)、徳川家康が関東に入国した際に、下総国香取郡武蔵国多摩郡で若干の知行地を与えられた[1]。慶長元年(1596年)に大番頭となるが、のちに辞職[1](ただし『徳川実紀』は康親没時の役職を大番頭としている[2])。慶長5年(1600年)の関ケ原の合戦後、福釜の旧領に帰らせた[1]

『徳川実紀』によれば、慶長10年(1605年)4月16日に徳川秀忠が征夷大将軍に任じられた際、同時に「松平右京康親」が従五位下に叙せられ筑後守に任じられた[3]。『寛政譜』では叙任の日付を8月7日としており、同時に家康の偏諱を与えられて「康親」と称したとある[1](『寛政譜』にはこれ以前の諱について記載はない)。この由緒から、子孫も諱に「康」の字を用いた[1]。この慶長10年(1605年)より伏見城番を務めた[1]

両度の大坂の陣にも従軍した[1]元和3年(1617年)2月23日、福釜において死去[1][2]、51歳[1]

『寛政譜』によれば、初代親盛から4代康親までは福釜の宝泉院を葬地としたという[4]。現代では宝泉院の西100mほどの場所にある「松平墓地(福釜城主墓域)」に、初代親盛から5代康盛[注釈 3]までの福釜松平家歴代の墓が移されている[5][注釈 4]

備考

  • 慶長16年(1611年)2月、康親は駿府の徳川家康のもとに参勤したが、前年冬に康親が献上した鷹が優秀なことに感心していた家康は康親を召し出し、この鷹が捕らえた鳥で饗応し、また盃を与えた[6]

脚注

注釈

  1. ^ 没年と享年からの逆算[1]
  2. ^ 『寛政譜』の没年と享年からの逆算では15歳となる。
  3. ^ 『寛政譜』によれば康盛は江戸牛込の光照寺に葬られた[1]
  4. ^ 初代親盛から4代康親までの墓石は、明治時代に福釜村長の杉浦源右衛門によって建立されたという[5]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『寛政重修諸家譜』巻四「松平 福釜」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.20
  2. ^ a b 『台徳院殿御実紀』巻四十五・元和三年二月二十三日条、経済雑誌社版『徳川実紀 第一編』p.372 / 内藤耻叟校訂『徳川実紀 巻80−90』p.2
  3. ^ 『台徳院殿御実紀』巻一・慶長十年四月十六日条、経済雑誌社版『徳川実紀 第一編』p.372 / 内藤耻叟校訂『徳川実紀 巻36−43』p.10
  4. ^ 『寛政重修諸家譜』巻四「松平 福釜」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.19
  5. ^ a b 安城歴史の散歩道 福釜松平と箕輪・高棚の社寺めぐり”. 安城市教育委員会. 2022年9月19日閲覧。
  6. ^ 『台徳院殿御実紀』巻十五・慶長十六年二月条、経済雑誌社版『徳川実紀 第一編』p.522 / 内藤耻叟校訂『徳川実紀 巻44−52』p.99

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜』巻第四「松平 福釜」
    • 『寛政重修諸家譜 第一輯』(国民図書、1922年) NDLJP:1082717/20
    • 『新訂寛政重修諸家譜 第一』(続群書類従刊行会、1964年)

外部リンク

 




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