松平義春とは? わかりやすく解説

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松平義春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/15 10:02 UTC 版)

松平 義春(まつだいら よしはる)は、戦国時代武将三河国松平氏宗家5代松平長親(長忠・出雲守・道閲)の子。右京亮、甚太郎(甚九郎とも)。東条松平家の祖。初め通称を甚太郎と称したとされるが同時代文書では未確認。江戸時代大久保忠教著『三河物語』では甚太郎と表記されている。また、「松平右京亮義春」名では後世に記されたいくつかの史書・記録に見られるが、判物等の同時代文書では殆ど例を見ない。


  1. ^ 中村孝也『家康の族葉』(講談社、1965年)において著者の中村孝也は義藤の跡を受けて吉良東条家の第6代を義春が継いだとするが、鈴木悦道『新版 吉良上野介』(中日新聞本社、1998年)(鈴木氏はまた、東条吉良氏菩提寺である花岳寺 (愛知県)の現住職である)は、同書 81 - 82頁にて、義春は持清の後見であったという伝承を松平家忠(東条)の代に言ったものだとしている
  2. ^ 『日本歴史地名大系 23 - 愛知県の地名 』(平凡社、1981年)716頁・「下六栗村」の項
  3. ^ 平野明夫『三河松平一族』(新人物往来社、2002年)192 - 193頁
  4. ^ 大久保忠教(原著)小林賢章 訳『三河物語(上)』<教育新書-原本現代訳11>、教育社、1987年、128 - 129頁。
  5. ^ 観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』吉川弘文館、1974年、544 - 546頁の記述、および同書所収の「弘治2年2月27日付(松平亀千代宛)今川義元安堵判物」・「弘治2年9月2日発給、(松平亀千代宛)今川義元裁許判物」(いずれも観泉寺今川文書)
  6. ^ 中島次太郎『徳川家臣団の研究 』国書刊行会、1981年、299頁
  7. ^ 下青野町柳原の撫松山慈光寺の所蔵文書「永禄7年松井忠次寄進状」、これと思しき法名の人物の菩提のために、忠次が法要を捧げたことが窺える。慈光寺文書は新編岡崎市史編さん委員会編 新編岡崎市史 6 古代中世史料編 』岡崎市、1983年「永禄7年欠月25日発給、慈光寺宛松井左近忠次寄進状」(由緒書上)による。
  8. ^ 青山善太郎『西尾町史(上)』(国書刊行会、1988年、吉良義春の項、244頁)


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