松平家広
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松平 家広(まつだいら いえひろ)は、安土桃山時代の武将。桜井松平家6代当主。
注釈
- ^ いつたかともぬしのみこと。桜井神社(兵庫県尼崎市)の祭神として追贈された神号[2]。
- ^ 堀家は多劫姫が輿入れの際に徳川家から派遣された家臣とされる[3]。桜井松平家の一時改易と再興などを越え、堀小三郎家は重臣としての格式を保った[3]。文化11年(1814年)の史料によれば、尼崎藩桜井松平家中において、堀小三郎家は460石ながらも家老たち(800石前後)よりも上席であった[3]。
- ^ のち3万石という記述も見られる[4]。本文にある通り、家広の死と忠頼の知行をめぐる情報は錯綜しており、慶長6年に忠頼が浜松藩に5万石で加増転封されていることについて「家広の遺領を忠頼が継いだ」という説がある[5](松平忠頼参照)。
出典
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