水野石見守家とは? わかりやすく解説

水野石見守家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:39 UTC 版)

水野氏」の記事における「水野石見守家」の解説

忠政の兄とされる水野成政」の系譜。『寛政譜』(6巻116項)と『新編 東浦町資料編3』所収乾坤院所蔵水野系図水野氏嫡流略系図」および「石見守水野氏御系図」による。水野氏嫡流略系図」ではこの家を嫡流とする。しかし結城水野家とのあいだに、嫡庶についての争いがあったという(『寛政譜6巻35頁および116頁)。 0.成政 藤助 尾州平島城主 大永2年1522年9月16日法名肝栄心 1.成清 常陸介 緒川城天文2年1533年3月24日 緒川にて「生害」 妻は忠政の女 法名・孝山励忠 1.長勝 石見守 母は忠政の女 慶長14年1609年11月3日法名寿光浄圓 2.女(荒川十郎大夫某の妻) 長勝は、父「生害」の時2歳。母と共に刈谷逃れるが、母が松平家広再婚するにあたり形原同行、家広の養育を受けるという。のち信長仕えて「石ヶ瀬の戦い」に参加信長死後北条氏政仕え小田原征伐では鉢形城北条氏邦配下となっていた。北条氏滅亡後天正19年家康仕えて武蔵国男衾郡800石を与えられる慶長7年伏見城番、同9年従五位下石見守となる。慶長14年伏見にて死去78歳。 長勝の子水野忠貞近畿8国の奉行職務め5,000石、その子水野忠顯は大番頭で6,000石を与えられて、従五位下叙任された。なお忠顯は水野忠清の4男で、次代水野忠富、次々代・水野忠英はいずれ松本水野家3代水野忠直の子である。それゆえ水野忠重直系となっている。

※この「水野石見守家」の解説は、「水野氏」の解説の一部です。
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