水野祐の「三王朝交替説」とは? わかりやすく解説

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水野祐の「三王朝交替説」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 14:43 UTC 版)

王朝交替説」の記事における「水野祐の「三王朝交替説」」の解説

昭和初期戦前)、津田左右吉記紀皇室日本統治正当性高めるために高度な政治的な理由編纂されたとの意見表現し有罪判決受けた戦後になって記紀批判が行えるようになり、昭和29年1954年)、水野祐が『増訂日本古代王朝史序説』を発表。この著書水野は、古事記記載天皇没した年の干支天皇和風諡号など)を分析した結果崇神から推古に至る天皇それぞれ血統異なる古・中・新の3王朝交替していたのではないかとする説を立てたが、これは皇統万世一系という概念覆す可能性のある繊細かつ大胆な仮説であった水野は、古事記没した年の干支記載されている天皇は、神武天皇から推古天皇までの33代の天皇のうち、半数満たない15代であることに注目しその他の18代は実在しなかった(創作され架空天皇である)可能性指摘した。そして、15代の天皇を軸とする天皇系譜新たに作成して考察展開した仮説では、記紀天皇代数表記合わせると、第10代崇神天皇第16代仁徳天皇、第26代の継体天皇初代とする3王朝興廃があったとされる崇神王朝仁徳王朝継体王朝の3王朝存在し、現天皇継体王朝末裔とされている。 水野祐学説当時学界で注目はされたが賛同者少なくその後水野学説批判的に発展させた学説古代史学の学界で発表された。井上光貞著書日本国家の起源』(1960年岩波新書)を皮切りに直木孝次郎岡田精司上田正昭などによって学説発表され王朝交替説学界で大きくクローズアップされるようになった古代史学説整理した鈴木靖民王朝交替論は「古代史研究戦後最大学説」と著書古代国家研究歩み』で評価している。また、王朝交替説に対して全面的に批判展開した前之園亮一著書古代王朝交替説批判』のなかで、万世一系否定果たした意義評価している。

※この「水野祐の「三王朝交替説」」の解説は、「王朝交替説」の解説の一部です。
「水野祐の「三王朝交替説」」を含む「王朝交替説」の記事については、「王朝交替説」の概要を参照ください。

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