松平親則とは? わかりやすく解説

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松平親則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/31 02:38 UTC 版)

松平 親則(まつだいら ちかのり、永享10年(1438年) - 寛正2年10月1日1462年11月3日))は、室町時代武将

松平信光の子。長沢松平家の祖。通称 源七郎備中守[1]。院号 妙心院。妻は愛知氏の女。子に松平親益

略歴

松平信光より三河国額田郡岩津妙心寺城を給わり、後に宝飯郡長沢に長沢城を築いて移住した[2]寛正2年(1462年)10月1日に死去、享年25。法名は祥公。[3]墓所は親則の菩提のために信光が岩津妙心寺城跡に建立した岩津の旧妙心寺(現円福寺)で、妙心院と称された[4][5]

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜-1輯』(国民図書、1922年、204p)

脚注

  1. ^ 長沢松平家”. 2022年9月14日閲覧。
  2. ^ 国民図書 1922, p. 204.
  3. ^ 国民図書 1922, p. 172.
  4. ^ 岩津町誌. 岩津町. (1936). p. 281. https://dl.ndl.go.jp/pid/1224446/1/183 
  5. ^ 岡崎市史 第8巻. 岡崎市. (1930). p. 603. https://dl.ndl.go.jp/pid/1240764/1/359 

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