円福寺_(岡崎市)とは? わかりやすく解説

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円福寺 (岡崎市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/31 02:32 UTC 版)

円福寺
所在地 愛知県岡崎市岩津町字檀ノ上85番地
位置 北緯35度0分14.68秒 東経137度10分12.05秒 / 北緯35.0040778度 東経137.1700139度 / 35.0040778; 137.1700139 (円福寺)座標: 北緯35度0分14.68秒 東経137度10分12.05秒 / 北緯35.0040778度 東経137.1700139度 / 35.0040778; 137.1700139 (円福寺)
山号 深草山
院号 真宗院
宗旨 浄土宗
宗派 西山深草派
寺格 大本山
本尊 阿弥陀如来
創建年 建長3年(1251年)
開山 円空立信
正式名 圓福寺
別称 南本山
札所等 西山国師遺跡霊場第六番
文化財 木造阿弥陀三尊像
木造法然上人坐像
木造善導大師坐像
公式サイト 深草山 真宗院 大本山 圓福寺
法人番号 1180305000065
円福寺
円福寺 (愛知県)
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円福寺 (えんぷくじ)は、愛知県岡崎市岩津町字檀ノ上85番地にある浄土宗西山深草派大本山。もとは妙心寺として、松平親則の居城・岩津妙心寺城跡に築かれた。1883年(明治16年)に京都の円福寺と寺号交換した[1]

歴史

岩津妙心寺城時代

15世紀中頃、松平信光の子・松平親則が、当地にあった岩津妙心寺城を居城とした[1]

寺院としての展開

1461年(寛正2年) 、親則の早世後、親則及び信光室真浄院の菩提のため岩津妙心寺城跡に妙心寺を建立[2][1][3]開山は信光の従兄・教然良頓(松平泰親の長子)[4]1464年(寛正5年) に教然良頓が没し、妙心寺に埋葬された[3]

妙心寺はもともと西方寺末寺であったが、西方寺が僻地にあったため、1518年(永正15年)に松平信忠の命で[3]、妙心寺が本寺となった[3]。また三河三檀林の一つとして僧侶養成を担ったが[5]、西方寺も看護寺として妙心寺の管理などを担った[3]

近代以降

京都の円福寺はもともと山城国紀伊郡深草村にあったが、1864年(元治元年)に戦火で焼けるなどし[6]、さらに明治維新後には寺領の大半が没収された[5]。その後、再建を図ったが敷地が狭隘で再建することができなかったため[6]、1883年(明治16年)に寺号交換し、妙心寺が円福寺となった[7]。その際本尊などは京都の円福寺と交換し、建物境内は旧妙心寺のものをそのまま引き継いだ[2][7]。2002年(平成14年)に大改修がなされ、落慶法要が行われた[7]

伽藍と遺構

現存する建造物、立木

円福寺の大楠と鐘楼門
  • 本堂 - 1780年(安永9年)建立の旧妙心寺時代の建物を継承[8]
  • 総門 - 旧妙心寺のもので、左甚五郎作と伝わる鯉の滝登りの彫刻が彫られている[8]
  • 大楠 - 樹齢数百年といわれる[8]

岩津妙心寺城

  • 寺院境内あるいは寺院裏が松平親則の居城・岩津妙心寺城跡とされる。いずれも松平信光の子の居城とされる岩津七城の1つ。また三河古城記、三河古城日記には「妙心寺裏の古城松平大膳」とあり、岩津城築城前に松平泰親松平信光に滅ぼされたとされる中根大膳(岩津大膳とも)の城跡ともみえる[1][9][10]

文化財

岡崎市指定文化財
名称 種別 年代 備考
木造阿弥陀三尊像[11] 彫刻 鎌倉時代 3軀
木造法然上人坐像[12] 彫刻 室町時代
木造善導大師坐像 もくぞうぜんどうだいしざぞう[13] 彫刻 室町時代 日本最古級の善導

墓所

宗教的意義

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d 松平信光ゆかりの地めぐり”. 豊田市観光協会. 2024年7月20日閲覧。
  2. ^ a b えんふくじ円福寺”. 岡崎市環境部環境保全課. 2025年7月30日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 神取龍生 (2024). 中世三河における浄土宗西山流深草義教団の展開. 愛知大学綜合郷土研究所紀要Paper(1). https://aichiu.repo.nii.ac.jp/records/2001012 2025年7月30日閲覧。. 
  4. ^ 浄珠院「開山 教然良頓上人」”. 浄珠院. 2024年7月20日閲覧。
  5. ^ a b 新纂浄土宗大辞典「円福寺」項”. 浄土宗. 2024年7月20日閲覧。
  6. ^ a b 岩津町誌. 岩津町. (1936). p. 224-226. https://dl.ndl.go.jp/pid/1224446/1/155 
  7. ^ a b c 円福寺の歴史”. 円福寺公式サイト. 2025年7月31日閲覧。
  8. ^ a b c 円福寺”. 岡崎市観光協会. 2025年7月30日閲覧。
  9. ^ 岩津町誌. 岩津町. (1936). p. 254-255. https://dl.ndl.go.jp/pid/1224446/1/170 
  10. ^ 岡崎市にある岩津城ができた経緯を知りたい。”. 国立国会図書館. 2025年7月30日閲覧。
  11. ^ 市指定:彫刻 木造阿弥陀三尊像”. 岡崎市. 2025年7月30日閲覧。
  12. ^ 木造法然上人坐像”. 岡崎市. 2025年7月30日閲覧。
  13. ^ 木造善導大師坐像”. 岡崎市. 2025年7月30日閲覧。
  14. ^ a b c 岩津町誌. 岩津町. (1936). p. 280- 281. https://dl.ndl.go.jp/pid/1224446/1/155 
  15. ^ a b c d e 岡崎市史 第8巻. 岡崎市. (1930). p. 603. https://dl.ndl.go.jp/pid/1240764/1/359 
  16. ^ 岩津町誌. 岩津町. (1936). p. 286. https://dl.ndl.go.jp/pid/1224446/1/186 
  17. ^ 崇福寺新纂浄土宗大辞典
  18. ^ 法蔵寺新纂浄土宗大辞典

外部リンク




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