良頓とは? わかりやすく解説

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良頓

(教然 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/01 05:59 UTC 版)

良頓(りょうとん、1390年元中7年) - 1464年3月20日寛正5年2月22日))は、室町時代浄土宗西山深草派僧侶教然良頓(きょうねんりょうとん)とも称される[1]松平氏一族出身で、西三河における浄土宗の普及に尽力し、西方寺浄珠院などの複数の寺院の建立や再興を行った。

生涯

出自と出家

1390年元中7年)、松平氏2代・松平泰親の長男として生まれ、幼名を徳丸、通称を泰氏殿といった[2]。成長後、變相寺(現・永應寺)の僧・浄俊妙意に師事し、剃髪して教然良頓と名乗った[2]。その後、京都の円福寺(現・妙心寺)で暢意に学び、伝法伝衣を受けた後、三河国に戻り、松平氏菩提寺法蔵寺の教空龍芸から再び戒律を受けた[2]

寺院の開基と再興

最期

1464年寛正5年)、西方寺で75歳で没[2]により荼毘に付され、遺骨は妙心寺(現・円福寺)に埋葬され、無縫塔が建立された[2][5]

事績と評価、関連文化財

脚注

  1. ^ a b 若き家康公に元気をもらう「どうする家康」前半の名シーンとゆかりの地めぐり”. 岡崎市観光協会. 2024年7月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 浄珠院開山:教然良頓上人”. 浄珠院. 2024年7月12日閲覧。
  3. ^ a b くらしインフォメーション”. 幸田町. 2024年7月12日閲覧。
  4. ^ 岩津町誌. 岩津町. (1936). p. 235. https://dl.ndl.go.jp/pid/1224446/1/160 
  5. ^ a b “中世三河、浄土宗西山深草派教団の展開”. 中外日報. (2022年9月30日). https://www.chugainippoh.co.jp/article/ron-kikou/ron/20220909-001.html 2024年7月30日閲覧。 
  6. ^ 至宝 燦めく岡崎の文化”. 岡崎市美術博物館. 2025年7月30日閲覧。

関連項目




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