おおくぼ‐ただたか〔おほくぼ‐〕【大久保忠教】
読み方:おおくぼただたか
大久保忠教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 04:36 UTC 版)
大久保 忠教(おおくぼ ただたか[1])は、戦国時代から江戸時代前期の武将。江戸幕府旗本。通称は彦左衛門尉[1]。はじめ、忠雄と名乗った[2]。子に大久保忠名、大久保包教、大久保政雄らがいる。妻は馬場信成の養女[3]。『三河物語』の著者としても知られる[4][1]。
- ^ a b c d 新編岡崎市史編集委員会 1989, p. 1036.
- ^ 続群書類従完成会 1965, p. 22.
- ^ 続群書類従完成会 1965, p. 23.
- ^ “大久保彦左衛門(上)庶民のヒーローは虚像…徳川武将が自ら執筆「三河物語」 主従関係“理想”描く”. 産経ニュース (2015年4月6日). 2020年7月21日閲覧。
- ^ a b 新編岡崎市史編集委員会 1989, p. 1043.
- ^ 鈴木将典「依田松平氏の信濃佐久郡支配」戦国史研究会 編『戦国期政治史論集 東国編』(岩田書院、2017年) ISBN 978-4-86602-012-9
- ^ 新編岡崎市史編集委員会 1989, p. 696.
- ^ “長福寺”. 岡崎おでかけナビ. 一般社団法人 岡崎市観光協会. 2023年3月17日閲覧。
- 1 大久保忠教とは
- 2 大久保忠教の概要
- 3 生涯
- 4 人物
- 5 講談・講釈の中の忠教
- 6 参考文献
固有名詞の分類
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