大久保忠名とは? わかりやすく解説

大久保忠名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/08 23:11 UTC 版)

大久保 忠名(おおくぼ ただな、慶長13年(1608年) - 万治2年3月9日1659年4月30日))は、江戸時代初期の旗本通称を平助、彦左衛門という。巷談などで大久保彦左衛門として知られる大久保忠教の嫡男で、母は馬場右衛門信成の養女。妻は駒井親直の娘、後妻は筒井忠重の娘、また新見正勝の娘で、子供に大久保忠隆、大久保忠直がいる。

生涯

元和8年(1622年)、15歳の時、将軍秀忠にまみえ、御書院番の番士となる。下野国河内郡内に400石の采地を賜る。のち200石の加増で600石となる。寛永16年(1639年)遺跡を継ぐ。このとき先の600石の半分ずつを弟包教、政雄に分知する。特に取り立てられることもなく、無役の小普請となる。

万治2年(1659年)3月9日に死去した。享年52。墓所は、白金立行寺

脚注





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大久保忠名」の関連用語

大久保忠名のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大久保忠名のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大久保忠名 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS