足立長雋とは? わかりやすく解説

足立長雋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/19 11:58 UTC 版)

足立 長雋(あだち ちょうしゅん、1776年安永5年) - 1837年2月1日天保7年12月26日))は、江戸時代後期の医者[1][2]。高名な蘭方医で西洋産科の権威でもあった[1]

来歴

江戸の人。井上正広の子として生れ、名は世茂、字は松文、無涯と号した。幼少のとき薩摩藩医足立梅庵に就学し、その才敏を認められて足立姓を襲いだ[3]

多紀元簡から漢方医学、吉田長淑から蘭方医学を伝授される[1]。丹波篠山藩藩医として招かれ た[1]

1831年(天保2年)に『医方研幾』を撰述、西洋産科にも通じ、Jean Louis Baudelocque の産科書を訳して『産科礎』を著し、日本で最初の西洋産科を標榜した[3]

門下に蘭学者の川本幸民、日本最初の私立病院順天堂を開設した佐藤泰然[1]、幕府御殿医の林洞海などがいる。

江沢栄建を養嗣とし、三女世興は宇田川榕菴に嫁した。訳著はほかに『方剤篇』『足立家方鑑』『女科集成』『産 科輯要』『眼科礎』などがある。

著訳書

  • 『産科礎』 抜烏垤碌却著
  • 『医方研幾』。 
  • 『方剤篇』。 
  • 『足立家方鑑』。 
  • 『女科集成』。 
  • 『産科輯要』。 
  • 『眼科礎』。 

脚注

  1. ^ a b c d e 『江戸時代人物控1000』山本博文監修、小学館、2007年、16頁。ISBN 978-4-09-626607-6 
  2. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 40頁。
  3. ^ a b 洋学史事典』、33頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12588879/1/21?keyword=蘭方医 




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